ギター・レジェンドの
ジョン・マクラフリン(John McLaughlin)は、
マイルス・デイヴィス(Miles Davis)と初めて作ったアルバム『In A Silent Way』(1969年)のレコーディングは、まさに厳しい試練の経験だったと、MusicRadarの最近のインタビューの中で振り返っています。
英ヨークシャー出身で当時27歳のギタリストにとって、そのアルバムの録音はまさに厳しい試練の経験でした。
「マイルスと一緒にやったことは、今でも鮮明に記憶に刻まれているよ。あの時、マイルスは変化を求めていた。マイルスはその準備ができていて、それを実行したんだ
ニューヨークに行くのは初めてだった。アメリカに行くのも初めてで、48時間もしないうちに、マイルスと彼のドラマーで、20世紀最高のドラマーの一人であるトニー・ウィリアムスとスタジオにいたんだよ。信じられないよね!
ニューヨークに着いたとき、電話がかかってきて、マイルスが“明日スタジオに来い、ギターを持ってきてくれ”と言ったんだ…僕は“何だって?”って感じで、震え上がったよ!
スタジオに着くと、セッションには3人のキーボード奏者がいた。チック・コリア、ハービー・ハンコック、そしてジョー・ザヴィヌル。みんな大物ばかりだった。僕が入っていくと、ジョーが僕を見て“お前は誰だ?ギタリストか?このセッションにはもう一人ギタリストがいるぞ”と言われた。僕は“昨夜マイルスに呼ばれたんです…”と答えると、ジョーは“そうか、ピアノの楽譜のコピーをあげるよ…”と言ったので、僕は“いや、ピアノの楽譜は読めません。ギターの楽譜なら読めます”と答えた。
その後、マイルスが入ってきて、“In A Silent Way”を録音し始めたんだけど、彼は気に入らなかった。何度か試したけど、やっぱり気に入らなかった…。それで彼は僕を見て“お前が弾け”と言った。僕は“ピアノの楽譜はあるんですけど…”と答えた。
すでに背中には汗が滝のように流れていて、本当に自信がなかったんだけど、“メロディーだけでいいですか?”と聞くと、マイルスは“いや、全部だ”と言った。僕はただ座って、“どうすればいいんだ?”と思っていた。ピアノの楽譜をギターで弾くなんて無理。誰にもできない。
マイルスは僕を見ていて、多分、僕が苦しんでいるのを見抜いたんだと思う。僕にとっては1秒が1ヶ月のように感じられたよ! そして約10秒経った後、彼は“じゃあ、ギターの弾き方がわからないふりをして弾いてみろ”と言ったんだ」
マイルスは仲間ミュージシャンに曖昧な指示を与えることで知られていました。
「そうなんだよ!(と、うなずき)それはまるで禅のような指示だった。他のミュージシャンたちが“おいおい、そんなの初めて聞いたよ”と言っているのが聞こえた。
そして、その瞬間から、“よし、僕は今ここにいる。マイルス・デイヴィスのセッションに参加している。やるかやられるかだ!”という気持ちになった。
その曲は、メロディはとてもシンプルだった。五音階ではなく、ただのメロディックなものだった。だから、僕は譜面は捨てて、Eのメロディだけを弾くことにした。ギターでEのコードは誰でも知っているので、それを弾いたら、セッションにいた全員が突然入ってきて、即興で演奏し始めたんだ! テンポも何もなかった。でもマイルスはそれを気に入ってくれて、当時のアルバムのサイドAのオープニングとエンディングに使ってくれたんだよ」
今振り返って、マクラフリンは『In A Silent Way』は、マイルスにとってもジャズ音楽全体にとっても画期的なアルバムだと評価しています。
「あれは極めて重要な瞬間だった。その6か月後、再びマイルスとスタジオにいて、『Bitches Brew』を録音した。その頃にはマイルスと親しくなっていて、よく彼の家に行っていた。彼から電話がかかってきて、“家に来い、ギターを持ってきてくれ”と言われたりしてね。そうして彼と親しくなったんだ。
彼は変わろうとしていた。1969年当時、彼が結成していたクインテット――本質的なジャズグループ――はすべてを革命的に変えていた。でも彼は変化を求めていて、それを実行に移していた。彼はもはや、古い音楽は演奏したくなかったんだよ」