
Rudy Sarzo, Randy Rhoads, Ozzy Osbourne & Tommy Aldridge
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドでも活躍したベーシストの
ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo)にとって、オジーの死去は
ランディ・ローズ(Randy Rhoads)が亡くなった時に感じた感覚と似ているという。サーゾはBass Playerの新しいインタビューの中で、オジーと
ブラック・サバス(Black Sabbath)の最終公演、そしてオジーの死去について語っています。
「(最終公演に)俺が行った目的は、オジーとシャロンに直接会って数分間話し、感謝の気持ちを伝えることだった。そこに着いたとき、他の皆も同じ目的で来ていることに気づいたよ。本当に感謝の気持ちでいっぱいなんだ。人生で十分な時間を費やしても、俺の人生を変えてくれたランディ・ローズ、シャロン、そしてオジーに感謝の言葉を尽くすことはできない。彼らがいなければ、今この会話をしていることもなかっただろう。
正直に言うと、オジーは元気そうに見えた。亡くなる2週間前とは思えなかった。医学用語には“ギフト”と呼ばれる現象があって、人は亡くなる直前、意識のはっきりした状態になるんだ。“ああ、大丈夫だ”と思わせてから、その後に亡くなるんだよ。
(オジーの場合)世界中がその贈り物を目撃したと思う。彼は元気だった。それから数週間後、友人からお悔やみのメッセージが届いた。俺は“何があったの?”と返信すると、友人は“彼が亡くなった。逝ってしまった”と答えたんだ。
その感覚は、ランディが亡くなった時と似ていた――死の虚無感、空虚さ。自分が感じていることを分析するのに数日かかった。1982年にランディが亡くなった後も、家族が亡くなることはあったけど、それらは自然死で予想されていたものだった。ランディとオジーの場合は、俺にそれとは異なる影響を与えたよ。
オジー、ランディ、シャロンは、俺の人生を変えた三人の主要な人物だ。ケヴィン・ダブロウのアパートの床で寝ていた俺が、オジーのオーディションに合格し、シャロンの家族と一緒に暮らすようになったんだからね。
(オジーとサバスの最終公演のために)俺たちが到着したとき、彼(オジー)はリハーサルで忙しかった。翌日はみんなでサウンドチェックがあって、その後は公演の日だった。スケジュールは本当に詰まっていて、オジーと過ごせたのはロス・ハルフィンとの大きな写真撮影の時だけだった。そこにもみんながいたので、時間は限られていたよ。基本的には少し顔を合わせて、彼が俺にしてくれたすべてのことに感謝を伝えた。
シャロンとはもっと長く過ごせた。彼女はリハーサルに関わらなくてよかったので、一緒に思い出話ができたんだ。サウンドチェックの日、7月4日は彼らの結婚記念日だった。(この公演に参加した人の中で)マウイ島で行われたオジーとシャロンの結婚式にも出席したのは、俺と妻だけだったと思う。だから、その時のことやランディと一緒にやった大きなスタジアム公演、そして一緒に過ごした素晴らしい時間について思い出話をしたよ。
(公演当日は)彼(オジー)のソロセットを観るために待っていた。彼がステージに現れたのは、その日初めてだった。こう言おう。俺は理解した。イベント全体がオジーとブラック・サバスの祝祭であり、俺たちの世代の音楽の祝祭だった。オジーの状態は理解していたが、彼が口を開けて歌い始めたとき、俺は感動した。妻に“今、奇跡を目撃している”と言ったよ。
彼は体調が良くなかった。でも、あのレベルで歌い、あんなに素晴らしい声が出せるなんて、鳥肌が立ったよ。信じられなかった。彼は歌い続けるうちに少しずつ力を取り戻し、観客も彼を支えた。スタジアムのみんなから愛を感じることができた。
ブラック・サバスのセットをやったとき、それが二度と再現されない瞬間だとわかった。それが撮影されて記録に残って本当に良かった。YouTubeにはたくさんのファン撮影の映像もあるので、誰も音を修正したなんて言えない。あれはまさにあの場でオジーが歌っているんだ。
オジーとは2つのツアーを共に過ごした経験から、彼を駆り立てるものが何なのか理解している。彼は何かをやらなければならない時、いつも自分を奮い立たせて、その瞬間に期待以上のパフォーマンスを見せる。
このイベントに関するメールは2024年10月に受け取った。2年間かけて準備が進められていた。そのことを知っていたので、オジーは絶対にやり遂げると思っていた。“彼はバンドにいた時と同じように、自分を奮い立たせるだろう”と感じていた。だから、彼がやり遂げたとき、驚きはなかったよ。
俺たちはその贈り物を体験し、希望を得た。オジーがやったことを見て“もしかしたら彼の健康の転機かもしれない”と思った。でも、突然、彼は亡くなった。
数日間、自分自身と向き合う時間が必要だった。そして気づいた。“これがランディの時に感じたのとほぼ同じだ”ということを。違いは、ランディの場合は飛行機事故というトラウマ的な出来事があったこと。オジーの場合は少し違っていて、パーキンソン病を患っていて、調子が良くないことを知っていた。
彼とツアーを回っている間、彼がいかに普通の人であり続けたのかを目の当たりにした。彼は少し落ち込んでいて、シャロンに“家と友達が恋しい”と言っていた。すると、シャロンは“わかった。じゃあ、あなたの友達の一人を連れてきて、バスに一緒に乗せましょう”と言った。その友達はとてもいい人だった。数日後、俺は尋ねた。“普段は何をしているんですか?”と。彼は言った。“道端で野菜を売っているんだ”。
俺は“これがオジー・オズボーンだ。ブラック・サバスにいたし、友達は選び放題のはずなのに、一番の親友は道端で野菜を売っているんだ”と思った。それでオジーの人間性がよくわかったんだよ。彼が惹かれたのは、何をしているかではなく、人間としてのその人自身だった。どんなに有名になっても、彼はただのオジーだったんだ」