オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)は2011年、英タイムズ紙のコラムの中で、自身の葬儀をどのようにしたいかというファンの質問に答えていました。また米PEOPLEは、オズボーン家に近い関係者の話として、オジーが亡くなった後、家族が妻シャロンを支えていると伝えています。
オジーは2011年、自身の葬儀をどのようにしたいかというファンの質問に、こう答えています。
「正直なところ、自分の葬式で何が流されても気にしない。ジャスティン・ビーバー、スーザン・ボイル、“We Are the Diddymen”のメドレーでも、みんなが喜ぶならそれでいい。悲しみに暮れる場ではなく、祝いの場にしたいね。
いたずらもしてほしい。棺の中でノックする音とか、“死”という診断に対して医者にセカンドオピニオンを求める俺のビデオとか。悪い思い出に浸るようなことは。なしだね。
君の質問に答えると、そうだね、残された家族のために、少しの計画を立てることは正しいことだね。人生のほとんどを苦しみしか見ない人々がたくさんいることを忘れないでほしい。
この国のほとんどの人、特に俺のようなロックスターは、どの基準で見ても非常に幸運だ。だからこそ、俺の葬式は悲しいものにしたくない。感謝を伝える時間にしたいんだ」
また米PEOPLEは、オズボーン家に近い関係者の話として、オジーが亡くなった後、家族が妻シャロンを支えていると伝えています。
「シャロンは悲しみに打ちひしがれていますが、家族が共に築いてきた人生を、とても誇りに思っています。みんなが彼女を支えています。彼女は何十年もの間、この家族の支えでした。今度は彼女が支えられる番です。
(家族がオジーの死去を発表して以来)子供たちは彼女が決して一人にならないようにしています。ずっとそばにいて、思い出を語り合い、涙を流しながら笑ったり、ただ一緒に過ごしています。
たくさんの痛みがありますが、最後の瞬間まで家族と過ごせたことから得られる大きな慰めもあります」
オジーの死後、関係者はPEOPLEに対し、オジーとシャロンが故郷に戻り、バッキンガムシャーに落ち着いたと語っています。
「シャロンは何年も前からイギリスに戻りたいと思っていました。イギリスは彼らにとって常に故郷でしたが、特に年を重ねるにつれて、それ以上の意味を持つようになりました。2人の最後の章で平和で最高の人生を共に築きたいと思っていたのです。でも、イギリスへの帰還は簡単ではありませんでした。彼の健康は長年にわたり脆弱でしたから…でも、それは贈り物のようなものでした。なぜなら、彼らは家で一年半を共に過ごせたからです。実際、オジーの最期の日々はイギリスで、家族や音楽に囲まれ、彼が故郷と呼んだ場所で過ごしました。彼は安らかに過ごしていたのです」