Lita Ford and Ozzy Osbourne
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne) のソロ・キャリアにおける初の全米トップ10ヒットは、
リタ・フォード(Lita Ford) と共演した「Close My Eyes Forever」(1988年)でした。リタはオジーの訃報を受け、英ガーディアン紙に追悼文を寄稿しています。
「私が人生で初めて見たコンサートは、1971年にカリフォルニアのロングビーチアリーナで行われたブラック・サバスだった。私は当時12歳。会場は人で埋め尽くされ、これまで見たことのない光景だった。バンド・メンバーは長い黒髪をなびかせ、その黒さのため彼らの姿はほとんど見えなかったけれど、大きな金の十字架だけははっきり見えた。音楽とステージから放たれるパワーで、彼らは最高にかっこよかった。それは私が未来を完全に決めた瞬間でもあった。私はこう思った。“この人たちが今私にもたらしているような感情を、他の人にも感じさせたい”と。
私はすでにギターを2年間弾いていたけど、その時からギターに没頭するようになった。14歳の時、カリフォルニア・ジャム(フェスティバル)に行くためにヒッチハイクでカリフォルニアを横断した。若い女の子がヒッチハイクをするのは最悪の選択だけど、どうしても行かなければならなかった。フェンスの隙間からこっそり入り込み、気づけばステージの真ん前にいた。ブラック・サバス、ディープ・パープル、エマーソン・レイク&パーマー……。オジーが歌う曲の多くは簡単ではないけど、高音のいくつかは彼が楽々と出しているように見えた。彼の声はとても個性的で、忘れられないもので、まるで叫びのようだった。
その後、1988年に彼と一緒にヒットしたソロシングルをリリースした。シャロン・オズボーンは私のマネージャーで、ノースハリウッドのスタジオでレコーディングしているときに彼女がオジーを連れて訪ねてきた。オジーと私は小さな別室に入り、アイデアを交換し始めた。何も事前に録音されておらず、彼はタイトルを、私はリフのアイデアを持っていなかった。私たちはその部屋に一晩中いて、部屋から出てきたときには、もう朝日が昇っていた。それが“Close My Eyes Forever”だった。その部屋で魔法が生まれた。まさかあんなに大ヒットするとは誰が想像したでしょう。(※米チャートで8位を記録した)
シャロンが私のマネージャーだった頃、オジーはいつもそばにいた。2人は本当にクレイジー。お互いに仕掛けること――それは私はそれまでに見た他のどんな関係とも違っていた。2人は完璧な組み合わせだった。それは間違いない。彼は仕掛けることができたし、彼女はそれ以上にやり返すことができた。シャロンとオジーは、お互いに怒っていることを示すためにゲームのようなことをしていた。ホテルの廊下を歩いていると、廊下に靴が一足置かれているのを見かけて“なぜオジーの靴がここにあるんだろう?”と思うことがあった。実はシャロンが彼にうんざりして、彼の靴にうんちをしていた。そしてもちろん、後日オジーも彼女の靴にうんちをして仕返しをしていた。
ある日、彼らはイースターのディナーに私の両親の家にやってきた。母はラムのもも肉を焼いていた。シャロンとオジーが入ってくると、オジーはワインのボトルをがぶ飲みした。グラスに注ぐのではなく、まるでこれが最後の一滴の液体であるかのようにボトルから直接飲み干していた。そしてワインがなくなるまで、彼は椅子にどんどん沈んでいった。父がオジーに(自分の分の)ラム肉を切るよう言い、オジーは切り始めたんだけど、肉は皿から滑り落ちてテーブルの下に落ちてしまった。オジーは“ごめんな、肉は食べないんだ!”と言い、父は腹を抱えて笑っていた。
彼は世界で最も偉大なロックスター。先日のコンサートでやったことも含めてね。立ち上がって歩くこともできなくても、彼は歌を届け、バンドは最高のパフォーマンスを見せた。言いたくはないけど、それはある意味、理想的なキングの終わり方かもしれない。彼は“プリンス・オブ・ダークネス”と呼ばれているけれど、今ではそれ以上の存在かもしれない」
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