オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)が死去。家族が声明を発表。76歳でした。
以下、声明より
「言葉では言い表せないほどの深い悲しみと共に、私たちの愛するオジー・オズボーンが今朝永眠したことをお知らせしなければなりません。彼は家族に囲まれ、愛に包まれた中で旅立ちました。
この悲しみの時、私たちの家族のプライバシーを尊重していただきますようお願い申し上げます
シャロン、ジャック、ケリー、エイミー、ルイ」
死因は明かされていませんが、オジーは近年、健康面で困難な時期を過ごしていました。オジーは2019年に自宅で転倒した際、2003年の四輪バギー事故の後に体内に挿入された金属棒の位置がずれてしまい、脊椎損傷を悪化させました。それ以来、彼は数度の手術を受けました。また2020年にはパーキンソン病とも診断されました。
健康面で不安を抱えていたにもかかわらず、オジーは2025年7月5日に故郷のイギリス・バーミンガムで、ブラック・サバスとして、そしてソロアーティストとして最後のコンサートを開催しました。
オジー・オズボーンことジョン・マイケル・オズボーンは、1948年12月3日に英バーミンガムで生まれる。ビートルズに魅了され、ロックバンドのシンガーになることを志す。
1960年代末には、ギタリストのトニー・アイオミ、ベーシストのギーザー・バトラー、ドラマーのビル・ワードと共にブラック・サバス(当初はアースと名付けられていた)を結成した。
終末的な歌詞、チューニングを下げたリフ、ゆっくりと重々しいテンポを特徴とし、ブラック・サバスはヘヴィメタルと複数のサブジャンルを生み出し、数多くの伝説的なアルバム(1970年の『Black Sabbath』と『Paranoid』、1971年の『Master of Reality』、 1972年の『Vol. 4』、1973年の『Sabbath Bloody Sabbath』、1975年の『Sabotage』)と楽曲(「Black Sabbath」、「N.I.B.」、「War Pigs」、「Paranoid」、「Iron Man」、「Sweet Leaf」、「Children of the Grave」、 「Sabbath Bloody Sabbath」など)をリリースした。
1970年代を通じてブラック・サバスのヴォーカリストとして大きな成功を収めたオジーだったが、1979年に他のバンドメンバーとの対立が原因で、過多の薬物・アルコール中毒を理由にバンドから解雇される。
キャリアの終わりを悟ったオジーはハリウッドのホテルの一室に閉じこもり、絶望の淵に立たされていた。しかし、ソロキャリアを再始動させるきっかけとなる2人と出会う:将来の妻となるシャロン・アーデン(ブラック・サバスのマネージャー、ドン・アーデンの娘)とギタリストのランディ・ローズだった。
オジーは1979年、ソロ活動を開始。1980年にソロ・デビュー・アルバム『Blizzard of Ozz』をリリースした。ローズの卓越したギタープレイはアイオミのスタイルとは全く異なり、これによりオジーのバンドに現代的なサウンドをもたらした。このアルバムには、オジーのキャリアの中でも最高傑作とされる曲「Crazy Train」「I Don’t Know」「Mr. Crowley」が収録されている。
1981年のソロ2作目『Diary of a Madman』共々大ヒットとなり、華々しいソロ・キャリアをスタートしたオジーだったが、ローズが飛行機事故のために1982年3月に若くしてこの世を去る。悲嘆にくれていたオジーだったが、2週間のツアー中断後、新しいギタリストに迎えてツアー再開した。
オジーは1980年代を通じて、メンバーを次々と入れ替えながら活動(その過程でブラッド・ギリス、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドといったギタリストのキャリアを後押しした)を続けた。
一方、この時代、オジーの予測不能な行動は注目を集め、あるレセプションでは生きた鳩を食いちぎったり、観客からステージに投げ込まれたコウモリの首を噛みちぎったり、テキサス州サンアントニオにある国民的歴史遺産であるアラモ砦で立ち小便して10年間テキサス州から出入禁止になったりしたのもこの時期だった。
1988年、リタ・フォードのアルバム『Lita』収録のロック・バラード「Close My Eyes Forever」でオジーが共演したヴァージョンが、オジーにとって初の全米トップ10ヒットとなり、91年にリリースしたアルバム『No More Tears』からはシングル「Mama, I'm Coming Home」がMTVなどを通じてヒット。90年代に入ってメインストリームのリスナーにもファンを増やしたオジーは、1993年のライヴ・アルバム『Live & Loud』からの楽曲「I Don’t Want To Change The World」で1994年、第36回グラミー賞の最優秀ハードロック部門を受賞した。
そんな一方、絶え間ないツアーによる疲労を訴えたオジーは一旦ツアーからの引退を宣言して引退ツアーを行ったものの、すぐに撤回して1995年アルバム『Ozzmosis』のサポートのためにツアーに復帰した。オジーは1990年代にアルコール依存症と薬物乱用について大きく改善し、シャロンを絞め殺そうとした事件の後、生活態度を改めた。
オジーと元サバスのバンドメイトの関係は、1985年のライヴエイドでの短命な再結成公演を経て、1990年代後半には、シャロンとオジーは、サバスが再結成してヘッドライナーを務める移動式フェスティバル『オズフェスト』をスタートさせた。
サバスは2006年、ロックの殿堂入りを果たす。サバスは断続的にツアーを続け、2013年の最終スタジオアルバム『13』をリリースし、2016年にはバンドの最後となるワールドツアー『THE END』を開始した。
オジーがこの時期、ミュージシャン活動以外で一般層の人々にインパクトを与えたのは、2002年にMTVで放送開始されたリアリティ番組『オズボーンズ』だった。オズボーン・ファミリーの破天荒な家庭内事情を追った番組は世界的に人気を呼び、この番組で、オジーとシャロンはもちろんのこと、次女のケリーや息子のジャックを、一躍有名にした。
2009年には自伝『I Am Ozzy』を執筆、2011年にはジャックが共同制作したドキュメンタリー映画『God Bless Ozzy Osbourne』が公開された。
病気やパンデミックにもかかわらず、オジーは最後までソロアルバムをリリースし続けた。2020年には『Ordinary Man』を、2022年には『Patient Number 9』をリリースした。