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「ツアーをキャンセルすればオジーは死んでしまう」 ランディ・ローズ没後の数日間でオジーのバンドでは何が起こっていたのか?ルディ・サーゾ回想

2025/07/18 20:20掲載
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Ozzy Osbourne and Randy Rhoads - Photo by Getty Images
Ozzy Osbourne and Randy Rhoads - Photo by Getty Images
1982年3月19日に起きたランディ・ローズ(Randy Rhoads)の悲劇的な事故。オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドでは、その後の数日間で何が起こっていたのか、そしてツアーをすぐに継続することができた経緯を、オジーの当時のベーシスト、ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo)が『The David Ellefson Show』の新しいインタビューの中で振り返っています。

「俺たちはギタリストのオーディションをしていた。

俺たちの考えはこうだった。オジーを動かし続けること。ツアーをキャンセルしないこと。ツアーをキャンセルすれば、オジーは家に帰り、オジーは死んでしまう。墓に入ってしまう。だから、俺たちは再びツアーに出なければならなかった。ランディが亡くなった10日後に戻って再開するんだと思っていたんだ。

それで何が起こったかというと、シャロンの兄弟でロンドンの事務所にいたデイヴ・アーデンがバーニー・トーメを送り込んできた。彼はオーディションに参加したが、実はすでに雇われていた。彼にはバンドに入って演奏するために報酬がすでに支払われていたんだ。でも彼は入ってくると、隅っこに座って自分の順番を待っていた」

サーゾによると、オーディションでは彼の弟であるロバート・サーゾを代役として考えた瞬間もあったそうですが、トーメの登場でその話は立ち消えになったという。

「実際、俺の弟もオーディションに参加していて、シャロンとオジーは彼がバンドに残ることを望んでいた。それを聞いたバーニーは“でも俺はもう報酬をもらっている。ここに送られてきたんだ”と言った。このような状況が少なくとも2、3日続き、バーニーは、自分がこの仕事を得ているとして、ただそこに座っていた。こんな感じで、カオスなことが起きていた。もちろんこれは40数年前の話で、当時はEメールも携帯電話もなく、通信手段が限られていたからね」

さらに追い打ちをかけるように、バンドはローズと、飛行機事故で亡くなったもう1人の関係者レイチェル・ヤングブラッドの両方の葬儀にも参列しました。

「その間、俺たちはランディとレイチェルの葬儀に参列した。レイチェルの葬儀の日には、少しリハーサルをしてから、“さて、レイチェルの葬儀に行かないと”“わかった”と。参列した後、リハーサルに戻ったり、ギタリストのオーディションをしたりしていた。

そして、ランディの葬儀の日が来た。その日は丸1日かかった。彼の家族が通う教会があったノースハリウッドのバーバンクから葬儀場のサンバーナーディーノまで移動した。当時は今ほど交通量ではなかったけど1時間ほどかかった。俺は棺を担ぐ役の一人で、葬儀のすべてに参列した。ランディを埋葬した後、オジーやトミー(アルドリッジ)、シャロンは感情的にリハーサルに戻れる状態ではなかった。だから、その夜は休みにしたんだ」。

オジーのツアーは1982年4月1日、ペンシルベニア州ベツレヘムのステイブラー・アリーナでの公演で再開されました。ブラッド・ギリスがローズの後任としてバンドに加入し、4月13日にニューヨーク州ビンガムトンで初公演を行い、ツアーの残りの日程を務めました。