
The Fire Doors aka Field Music
「自分たちの音楽で収入を得ることが今はほぼ不可能に近い。副業として自分たちのスキルを活かして少しでも稼げることをしようと思った」。20年間に9枚のアルバムをリリースし、独自の音楽を追及してきた英インディーロック・バンドの
フィールド・ミュージック(Field Music)が、
ザ・ドアーズ(The Doors)のトリビュート・バンド、The Fire Doorsを開始しました。ファンから「なぜドアーズのトリビュート・バンドを始めるのか」と尋ねられた彼らはSNSで、次のように回答しました。
「自分たちの音楽をリリースしたり演奏したりして収入を得ることが今やどれほど難しいか(ほぼ不可能に近い)を考えると、副業として自分たちのスキルを活かして、楽しみながら少しでも稼げることをしようと思った。また、これはパフォーマンスの面でも良い状態を保つことができる。自分たちの音楽を作るのをやめるわけではない。これをやるか、9時から5時までの仕事に就くか、どちらかを選ぶしかないからだ。後者の場合は創作時間が大幅に減ってしまう。自信がない? 20歳のバンドとしての商業的な見通しに自信がない? はい! 面白い音楽を作る能力に自信がない? 一瞬たりともそんなことはない」
その後、彼らは声明の全文をSNSに投稿しました。
「さて、今日はじめにフィールド・ミュージックのFacebookで、僕たちがドアーズのトリビュートバンドとしてライヴを始めたと投稿しました。その投稿に対し、フィルという男性から非常に興味深い質問が返ってきて、創造性と現在の音楽業界に関する多くの問題を提起してくれました。フィルを責めないでほしい。彼は僕たちに少しがっかりしているかもしれないし、さらに言えば、その意味するところにもっと失望しているかもしれない。しかし、これは確かに価値ある質問だ。彼はこう言っている。
“純粋な疑問です。なぜこんなことをするのですか?ドアーズが偉大になったのはトリビュートバンドとしてではなく、自分たちの音楽的・精神的な暗部を探求したからです。人気バンドだと思うあなたたちがトリビュートバンドとして時間を費やすのは、ある意味自信がないように思えます”
この質問への回答の第一段階は単純明快です。なぜ僕たちがこれをしているのか? 自分たちのオリジナル音楽で生計を立てることは、ますます難しくなっており、他の収入源が必要なんだ。僕たちには多くの音楽的スキルがあるし、ドアーズが大好き。僕たちは子供時代にこの音楽で演奏する方法を学び、ミュージシャンになった。多くの会場がトリビュートバンドを招聘している。多くの人がトリビュートバンドを見に行く。僕たちはこの分野で本当に、本当に上手くやれると思っている。月に1回ほど公演を行うことで、厳しい財政状況の穴を埋めることができるんだ。
次の段階は、各要素の背後にある“なぜ”。なぜオリジナル音楽で生計を立てることが難しくなったのか? まず第一に、それは常に難しいことだった。しかし、かつてはカジュアルにアルバムを買う人が多かった(90年代にCDに10ポンド使ったものの、1回しか聴かなかった人はどれくらいいる?)が、今ではストリーミング文化が主流となり、カジュアルなリスナーは同じ体験を得ながら、お金を無駄にせずに済んでいる(その結果、数千の小さなアーティストへの支援が失われた)。ストリーミングはまた、注目と収益をトップに集中させ、レコード制作の中間層は、ストリーミングのパラダイムに合った音楽を作ることでトップを目指すか、本業を探すかの二者択一を迫られている。
僕たちの場合、20年間一貫して、何が流行っているかは一切気にせず、自分たちが作りたい音楽を徹底的にこだわり続けてきた。インディーズのダンスフロアヒットがないため、ヘリテージ・サーキットには参加できない(正直なところ、ドアーズのトリビュートバンドの方が僕の性に合っているかもしれない)。プレイリストに適したジャンルにも当てはまらないため、新しい曲を書き、新しいアルバムを作り続けているにもかかわらず、僕たちは静かに現代の不適合者になってしまった。でも、偽りの謙遜は一切なく、僕らの作品は、過去に作ったものと同じくらい、あるいはそれ以上に良いものだと思う。
(中略)
なぜ人々はトリビュートバンドを見に行くのか? それは楽しませてもらいたいからだ!良くも悪くも、僕たちは90年代半ばにパブで(もちろんドアーズの曲を)演奏した以降、エンターテイナーではなかった。当時でさえ、僕たちの一番のエンターテイメントは、小さな子供たちである僕たちがが古い音楽を真剣に演奏している姿だっただろう。ライヴの後は安いスーパーのラガーを飲みながら欠点を分析して帰った。今とほとんど変わらない。自分たちの音楽を作り始めてからは、それを(そしてその表現方法を)芸術として扱い、決してエンターテインメントとは考えなかった。僕たちがこんなにニッチな存在なのも無理はない。自分たちの作品を非常に大切にしないことは難しいものだ。でも、観客を楽しませるために愛を込めて他人の音楽を演奏することで、その緊張を解き、喜びを感じられるかもしれない。
追記として、これをすることに対する恥ずかしさはすっかり消え去った。なぜ、愛する音楽に時間を割き、愛する人たちと演奏し、僕たちが音楽活動に取り組んでいるのと同じ情熱、献身、配慮を音楽に注ぎ込み、それでもなお自分たちの音楽を作る時間が残るようにすることを恥じる必要があるのか? フィルが言うように“自分たちの音楽的・精神的な暗部を探求する”ためにね」