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ゲイリー・ムーアが15歳でブルースロックバンドのスキッド・ロウに加入した経緯とバンドを去った理由 元バンドメイト語る

2025/06/19 20:16掲載
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Skid Row / Skid / 34 Hours
Skid Row / Skid / 34 Hours
ゲイリー・ムーア(Gary Moore)が、アイルランドのブルースロックバンド、スキッド・ロウ(Skid Row)から声をかけられた時、彼はまだ15歳でした。スキッド・ロウのベーシストだったブレンダン・“ブラッシュ”・シールズはBass Playerの新しいインタビューの中で、ムーアが加入した経緯と、彼がバンドを去った理由について語っています。

「フィル・ライノットが最初のリード・ヴォーカルで、彼はその後にシン・リジィを結成した。1968年、俺たちはゲイリー・ムーアを見つけた。彼は当時まだ15歳。父親のロバートは36歳で、ゲイリーの面倒を見てくれと頼まれたのを覚えているよ。

あの年齢であの腕前はすごかった。信じられないほどだった。彼にライヴ出演の話をしたら、すぐに引き受けてくれた。もう二度と振り返らなかった。彼に出会った瞬間、もう決まっていたんだ」

スキッド・ロウは1969年にライノットをヴォーカルに据えたシングル「New Places, Old Faces / Misdemeanour Dream Felicity」でメジャー・デビュー。後にライノットが脱退すると、バンドはパワートリオへと変貌を遂げ、シールズがヴォーカル&ベースを担当し、ムーアがギターのリードを取る体制となりました。

スキッド・ロウの当時のビジョンについて、シールズはこう振り返っています。

「俺たちが目指していたのは、クリームとジミ・ヘンドリックスの融合だった。それが全ての根幹にあった。でも、ゲイリーと俺が最初に書いた曲のいくつかは、実際にはデイヴ・ブルーベックの“Take Five”を基にしたもので、ある種のセミ・ジャズ・ブルース的なアプローチだったと思う。その後は全てリフ中心のスタイルになった。

俺たちはみんな、数年後には億万長者になれると思っていたんだよ(笑)。でも、彼が去ってしまって、俺は家に帰って失業手当を受け取らなければならなくなっていた。

彼がバンドを辞めた理由は、俺たちの音楽がシンプルになりすぎていると感じたからなんだ。彼は素晴らしい演奏をしていて、本当にすごいことをやっていたんだけど、“俺たちは、本来やるべきことからどんどん離れていってる”と言っていた。だから、2枚のアルバムの後に彼は去ったんだ」