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元スージー・アンド・ザ・バンシーズのジョン・マッケイ 「スージーが新たに習得したカンフーを俺に試そうとして後ろから突き飛ばした。それが脱退の決定打だった」

2025/06/18 17:59掲載
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Siouxsie and the Banshees (Image credit: Gus Stewart / Redferns / Getty Images)
Siouxsie and the Banshees (Image credit: Gus Stewart / Redferns / Getty Images)
スージー・アンド・ザ・バンシーズ(Siouxsie and the Banshees)の初期ギタリスト、ジョン・マッケイ(John McKay)は、自身の脱退について、最後の決定打は「スージー・スー(Siouxsie Sioux)が新たに習得したカンフーを俺に試そうとして、俺を後ろから突き飛ばした。それが決定打だった」と明かしています。米Guitar Worldの新しいインタビューの中でバンドへの加入・脱退について振り返っています。

Q:1977年7月にスージー・アンド・ザ・バンシーズに加入しました。バンドとの出会いは?

「ロンドンのミュージックマーケット(現在のKOKO)で、彼らと知り合いだった美術大学の友人と一緒に彼らを見た。ギタリストはもうすぐクビになるところだった。俺は彼らの演奏が気に入ったし、なぜそのギタリストが彼らの好みではないかも理解できた。ただ、彼は彼らのためにたくさんいい曲を書いていたけどね。

友人が俺の家で録音したテープを聴いて、応募するよう説得してくれた。彼は“最悪でも新しい友達ができるだけだよ!”と言っていた。ケニー(モリス)が送ってくれたテープで全ての曲を覚えた。

パトニーでのリハーサルに行き、セットリストを一通り演奏したら、スージーが“あなたはメンバーよ!”と言ってくれた。その後数日で3回のライヴをやった。本当に幸せだったよ」

Q:バンシーズ時代に共演した有名なバンドは?

「ヒューマン・リーグはサポートアクトを務めたし、スピッズエナジーとも共演した。当時、彼らがスピッズエナジーという名前だったかどうか分からない…彼らは何度も名前を変えていたからね。ヒューマン・リーグは素晴らしかったけど、俺たちとは全く異なるスタイルで、観客にとっては良い組み合わせだったと思う。そして、もちろん、ザ・キュアーとも。

ロバート・スミスはバンシーズで俺の曲を演奏してから、彼のサウンドは大きく変わった。ザ・キュアーはバンシーズのマーク2になったと思う。彼らは当時としては珍しいバンドで、彼は賢いミュージシャンだった。それは一目瞭然だった。彼らは大きく変化した」

Q:1979年のスージー・アンド・ザ・バンシーズからの脱退は、突発的な決断のように見えました。以前から脱退を考えていたのですか?

「俺たちの間にはさまざまな亀裂が生じていた。その原因の一部はマネジメントにあった。最後の数週間は最悪で、ベルファスト公演の機材が北アイルランドに届かなかったことで頂点に達した。公演はキャンセルすべきだった。適切な照明も背景もなく、俺たちはザ・キュアーから機材を借りた。今までで最大規模のツアーの初日公演だったのに、まったくの冗談のような状態だった。

観客はがっかりし、俺たちも当然ながら落胆した。士気は最低で、爆発寸前の状態だった。俺はギタリストを辞めたくなかった。レコード契約もあり、芸術的に評価できるバンドにいる、非常に良い立場にいたから。

その後、(アバディーンのキャピタル・シアターでの公演予定前に)スージーが新たに習得したカンフーを俺に試そうとして俺を後ろから突き飛ばした。それが決定打だった。俺はその場を去り、ケニーも一緒について来た。その後の数ヶ月間、異常な状態だった。

家に帰りたくなかった。彼らが家に来るとわかっていたからね。実際に来たよ。ロンドンやサマセット周辺の友人の家に泊まり、身を隠していた。落ち着いて考える時間ができた時、その状況が悲しくなったよ」

Q:スージーとは結局仲直りしたんですか?

「まあ、少しはね。亡き妻のリンダと結婚した時、俺たちは湖水地方に滞在していて、偶然スージーとバッジーに会った。リンダが“音楽出版のロイヤリティのことを聞いてみる”と言って。当時俺たちは一銭も受け取っていなかった。それについて長い話し合いがあった。2人は俺たちの証人になってくれると申し出てくれたんだけど、俺たちはすでに証人を決めていた。でもそれで氷がとけたのは確かだ。ただ、親友と呼べる関係かと言われるとそうではない。今でもね」

Q:バンドを辞めたことを後悔していますか?

「特定の誰かが原因だったわけじゃない。本当に後悔はしていない。いろんな人たちの間で積み重なった結果で、マネージャーのニールがスージーに対して完全に専制的だったことも事態を悪化させたんだ」