HOME > ニュース >

【追悼】キャロル・ケイがブライアン・ウィルソンとのスタジオでの仕事を振り返る 英誌がアーカイブ公開

2025/06/13 17:08掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Carol Kaye and Brian Wilson
Carol Kaye and Brian Wilson
英MOJO誌は、ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)をしのび、2012年に発行されたビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)特集の『MOJO 223』から、レッキング・クルーのベースの名手、キャロル・ケイ(Carol Kaye)がブライアン・ウィルソンとのスタジオでの仕事を振り返る記事を同誌のサイトにてアーカイブ公開しています。

「当時はブライアンがすべてを取り仕切っていた。彼は(エンジニアの)チャック・ブリッツからエンジニアリングの技術も驚くほど速く習得していた。彼は脳明晰で物静か、優しい性格の青年で、繊細なユーモアのセンスを持ち、音楽を異なる視点で聴くことができた。彼はルールに縛られず、楽器が特定の役割に縛られるようなことを嫌っていて、ベースからすべての音を捉えていた。スタジオでは音楽を変えることはあっても、ベースだけは決して変えなかった。“California Girls”で一度だけ、私がフレーズを考案した時、ブライアンは何も言わなかった。それは最高の賛辞だった。

60年代のロックンローラーたちはスタジオ・ミュージシャンにラインを考えてもらう必要があったけど、フランク・ザッパとブライアンだけは例外で、彼らは自分が何を求めているかわかっていた。ブライアンは書き上げた楽譜を持ってくるんだけど、高校生が書いたようなもので、音符の向きが逆だったり、シャープやフラットがめちゃくちゃなものだった。彼はピアノで曲を弾いて雰囲気を伝え、ほぼ必ずブースに戻ってそこから指示を出し、それから演奏が始まった。1曲に3時間もかかるのでイライラすることもあった。普通のセッションなら4、5曲やっていたから。

(『Smile』の)“Mrs. O'Leary's Cow”のセッションで消防士の帽子は被らなかった。被っていたのは(コントラバス奏者トの) ライル・リッツと (ドラマーの) ハル・ブレインだけ。ブライアンがふざけてゴミ箱で小さな火を焚いた時には“何をしているの?”と思ったし、馬鹿げていると思った。私たちは子供じゃない。帽子を被るために雇われたわけじゃない。ヒット曲を作るために雇われたんだ。

ブライアンがポップミュージックのためにしたことは素晴らしかった。彼は最初から風変わりな人だったけど、『Smile』の最後の数セッションまでは問題なかった。セッションが散漫になった頃、彼はデヴィッド・アクセルロッドのように音楽を切り刻むようになった。彼がどうするか決めるまで、私たちは待つ日々だった。

30年後の1997年、ブライアンと彼の娘たちのセッションに参加した時、彼と再会した。確かに年をとり、以前とは違っていたけど、再婚して幸せそうだった。最悪の時期を乗り越えたようだった。セッションをしていて、“ああ、そうそう。1日1曲だったわね”と思い出した。ブライアンは復活していた。相変わらず指揮を執っていました」