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グレアム・パーカー&ルーモアやブリンズリー・シュウォーツのキーボード奏者ボブ・アンドリュース死去

2025/06/07 21:14掲載
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Bob Andrews
Bob Andrews
グレアム・パーカー&ルーモア(Graham Parker & The Rumour)ブリンズリー・シュウォーツ(Brinsley Schwarz)のキーボード奏者ボブ・アンドリュース(Bob Andrews)が死去。彼の友人である作家リン・ロビンソンがニューメキシコ州タオスのメディアThe Taos Newsで明らかにしています。ロビンソンによると、6月5日にニューメキシコ州タオスの自宅で亡くなりました。75歳でした。

ロビンソンによると、アンドリュースはがんと闘いながらも、タオス周辺で演奏活動を続けていました。5月中旬頃には、エルヴィス・コステロがアルバカーキで公演を行った際には、アンドリュースをバンドに招いていたという。

グレアム・パーカーはBest Classic Bands経由で追悼コメントを発表しています。

「親愛なる友人であるルーモアのボブ・アンドリュースが亡くなったというニュースを聞いて、とても悲しんでいます。ボブはミュージシャンとして素晴らしい才能を持ち、僕のキャリア初期において、僕の作品の良い部分を引き出してくれる存在でした。彼は僕の曲を、僕が想像していた以上の高みへと引き上げてくれました。安らかに眠ってください、ボブ」

ボブ・アンドリュースは1949年6月、リーズ郊外に生まれる。7歳の頃、祖母の隣人のピアノを叩くことに夢中になっているのを見た母親が、彼にピアノのレッスンを受けさせた。13歳の頃、チャック・ベリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズと出会う。1965年、16歳のとき、長い髪のために高校を退学になったアンドリュースは、新しく手に入れたオルガンを持って、週5日ライヴ活動を行い始めた。

1966年にフルタイムのプロミュージシャンとなり、1968年にポップ・バンド、キッピングトン・ロッジに加入した。ブリンズリー・シュウォーツ、ニック・ロウ、アンドリュース、ビリー・ランキンによるこのバンドは後にブリンズリー・シュウォーツへと名前を変える。ブリンズリー・シュウォーツは、パブロックというジャンルの誕生に中心的な役割を果たした。バンドの録音作品には、1974年にデイヴ・エドモンズがプロデュースしたアルバム『The New Favourites of… Brinsley Schwarz』に収録された、ロウの最も有名な曲のひとつ「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love And Understanding」などがある。

1975年にブリンズリー・シュウォーツが解散すると、ロウはソロ活動のほか、エルヴィス・コステロのプロデューサーとして頭角を現した。

シュウォーツとアンドリュースは、マーティン・ベルモント、アンドリュー・ボドナー、スティーヴ・グールディングと共に新しいバンド、ルーモアを結成。スティッフ・レコードを創立するデイヴ・ロビンソンが彼らをグラハム・パーカーに紹介し、イングランドのパブ・ロック・シーンで演奏を始めた。

グレアム・パーカー&ルーモアは、批評家からも絶賛され、影響力のあるアルバムを数多く録音し、精力的にツアーを行った。発展しつつあったパンク・ロックの多くのバンドがギター、ベース、ドラムというシンプルな編成にサウンドを絞り込んでいたが、ルーモアは、アメリカのソウル・ミュージックやボブ・ディラン(特にザ・バンドとの共演)、ヴァン・モリソンなどの影響を受けた、広範で洗練されたアレンジメントを特徴としていた。

2つのバンドでの活動とは別に、アンドリュースはシュウォーツとともにカーリーン・カーターの1978年のデビューアルバムをプロデュースした。その後、彼は、ニック・ロウの「I Love the Sound of Breaking Glass」など多くの作品に参加した。1988年にはThe La'sのヒット曲「There She Goes」をプロデュースした。

アンドリュースは、他のメンバーとともに、グレアム・パーカー&ルーモア名義でリリースした2012年のアルバム『Three Chords Good』と2015年の『Mystery Glue』にも参加した。