ビリー・ジョエル(Billy Joel)は新しいドキュメンタリー『Billy Joel: And So It Goes』の中で、友人の妻と不倫関係になった後、2度の自殺未遂を図り、昏睡状態に陥ったことを明かしています。
6月4日、ニューヨークのトライベッカ映画祭で、このドキュメンタリーの第一部が初公開されました。
米Peopleによると、20代前半のジョエルは親友であるドラマーのジョン・スモールと共にアッティラというバンドを組んでいました。当時、ジョエルは、スモール、当時のスモールの妻エリザベス・ウェバー、そして彼らの2人の息子と一緒に暮らしていました。
ウェバーはドキュメンタリーで「ビルと私は多くの時間を共に過ごしました」と語り、「ゆっくりと関係が深まっていった」と打ち明けています。
その後、スモールが何かが起きていることに気づき、ジョエルがスモールに真実を話しました。「僕は君の妻を愛している」。ジョエルはこう続けています。
「僕はとてもとても罪悪感を感じていた。彼らには子供もいた。僕は家庭を壊したと思った。彼女を愛してしまった。鼻を殴られた。当然の報いだ。ジョンはとても動揺していた。僕もひどく動揺していた」
この喧嘩はアッティラの終わりとなり、しばらくの間2人の友情も終わりました。ウェバーは旅立ち、ジョエルは酒に溺れ始め、これが転落の始まりとなりました。(数年後、ウェバーとジョエルは再会し、1973年から1982年まで結婚生活を送った)
ジョエルはこう続けています。
「住む場所もなく、コインランドリーで寝泊まりしていた。精神的に参っていて、おそらく精神的に崩壊寸前だったと思う。“もう終わりだ。生きていたくない”と思った。ただただひたすら苦しくて、“明日も今日と同じで、今日が最悪なんだから、どうして生き続ける必要があるんだ”という感じだった。だから全てを終わらせようと思ったんだ」
当時、ジョエルの姉ジュディは医療助手として働いており、彼が眠れるように睡眠薬を与えていました。ジュディはドキュメンタリーで涙ながらにこう語っています。
「ビリーはそれを全部飲むことに決めた...何日も何日も昏睡状態が続きました。私は彼を殺してしまったと思いました」
ジョエルは当時自分が「とても自己中心的だった」と認めています。彼は病院で目覚めた時、もう一度それをする、今度はちゃんとやる、と思ったと回想しています。
姉ジュディによると、次にジョエルは「レモンプレッジ」のボトルを飲み干しました。この時は、スモールが彼を病院に連れて行きました。
ジョエルは「僕たちの友情は崩壊していたにもかかわらず、ジョンは僕の命を救ってくれた」と語り、スモールは続けて「彼は僕に何も言わなかった。ビリーがあれほど深く傷ついた理由について、僕が言える唯一の現実的な答えは、彼は僕のことを大切に思っていてくれたから、僕を傷つけたことが彼自身を苦しめた。結局、僕は彼を許したよ」と付け加えています。
2度の自殺未遂の後、ジョエルは「迷える魂」のように感じ、自ら(精神障害のために心神喪失等、責任を問えない状態と判断された人が入る)医療観察法病棟に入院しました。この経験はジョエルにとって人生を変えるもので、彼は数週間で退院しました。ジョエルは「観察病棟を出た時、自分に言い聞かせたんだ。この感情をすべて音楽に注ぎ込めってね」と語っています。