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元スウェードのバーナード・バトラー、マッカルモント&バトラーの名曲「Yes」の誕生の経緯を語る

2025/06/03 17:43掲載
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McAlmont & Butler / The Sound of McAlmont and Butler
McAlmont & Butler / The Sound of McAlmont and Butler
スウェード(Suede)のギタリスト/ソングライターのバーナード・バトラー(Bernard Butler)が、スウェード脱退後の1995年にデヴィッド・マッカルモント(David McAlmont)とのコンビ、マッカルモント&バトラー(McAlmont & Butler)としてリリースした名曲「Yes」。この曲の誕生の経緯をバトラーが英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で語っています。

「スウェードを脱退したばかりで、ロンドンのハイゲートにあるアパートの地下室で暮らしていた。小さな部屋で音楽を作っていたあの頃は孤独な時期だったが、素敵な夏で、何か前向きで喜びに満ちたものを作ろうと思った。晴れた日に聴くのが好きな曲がいくつかあった。ダスティ・スプリングフィールドの“I Only Want to Be With You”とか、ロータス・イーターズの“The First Picture of You”とか、スウィング・アウト・シスターの“You on My Mind”とか、バッカラック風の転調とストリングスが特徴的だった。あの曲たちが僕に与えてくれた高揚感と同じものを感じられる音楽を作りたかった。

アルバムやジャケットアート、ビデオのことを考えるのはやめて、僕はただ、みんながこの曲を聴いて太陽が差したような気分になってほしかった。デモにストリングスが必要だったので、Loot誌でサンプルを販売している人を見つけた。この時は1994年、当時はノートパソコンで何でも手に入る時代ではなかった。彼のアパートに行き、フロッピーディスクにコピーするのを何時間も待ったことを覚えているよ。

最初から自分で歌うつもりはなかった。当時、(オール・アバウト・イヴの)ジュリアンヌ・リーガンと一緒に曲を書いていたので、彼女が最初にメロディと歌詞を書くことに挑戦した。彼女が去った後、ラフ・トレードの(創設者)ジェフ・トラヴィスがデモをモリッシーに聴かせたら、彼は会いたいと言ってきた…結局、ピンボールで遊んだだけだった。1週間後、“バーナードへ、残念だができない”という手紙が届いた。その後、カースティ・マッコールと午後を過ごした。彼女は僕の作品を気に入ってくれたが、それでも全てを変えたいと言っていた。

ある人から、ジャズ・カフェで演奏しているデヴィッド・マッカルモントを見に行くよう勧められた。最初の曲でドラマーのマコト・サカモトがドラムを叩き始めた。それはこれまで聴いた中で最高の音だった。そしてデヴィッドが歌い始めると、僕は“これだ”と確信した。2人とも必要だと悟った。デヴィッドにインストゥルメンタルのテープを渡すと、2日後に彼が僕のアパートに来て、書いたものを見せてくれた。実は1番しか歌詞がなかった。僕は“2回同じのを歌えばいい。後で何とかするから”と言った。結局そのままになった…でも誰も気にしていない。この歌詞のメッセージが大好きなんだ。“クソったれ”という強いメッセージなのに、最高にポジティブな形で表現されている。

ストリングスを録音した後、ノルマンディーにある、プロデューサーのマイク・ヘッジスのシャトーで数日過ごした。ドラムは古い石造りの地下室にセットした。マコは英語を話せなかったけど、僕は腕で指示して、彼が曲の冒頭で聴こえる爆発音を奏でた時、部屋が揺れたのを覚えている。デヴィッドはボールルームでヴォーカルを録音したが、彼はキーチェンジの跳躍をいとも簡単にこなしているようだった。僕は10フィート(約3メートル)離れたところに立っていて、“これは素晴らしいものになる”と思っていた。

“Yes”は僕が今まで作った中で最もお気に入りの曲だ。人々が良い気分になるために聴くような曲を作れるなんて、まさに魔法のようだ。リリースから何年も経ったある日、子供たちと花火大会に行った。主催者は毎年最後に大音響の曲で締めくくっているんだけど、その年は“Yes”で締めくくったんだ。本当に衝撃的だったよ」