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ボストンの初期ギタリスト バリー・グドロー、初期デモで全ギターを担当したのは本当?/完璧主義のトム・ショルツ/50周年記念リユニオンの可能性など語る

2025/05/23 19:45掲載
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Barry Goudreau (Image credit: David Young)
Barry Goudreau (Image credit: David Young)
トム・ショルツ(Tom Scholz)率いるボストン(Boston)の結成当初からメンバーで、1stアルバム『Boston』(1976年)、2nd『Don't Look Back』(1978年)に参加したギタリストのバリー・グドロー(Barry Goudreau)。ボストンの初期デモ録音では全てのギターをグドローが担当したという噂について、完璧主義のショルツによってレコーディングから締め出されたことについて、ショルツとの決別について、ボストン50周年記念のリユニオンの可能性についてなどを、米Guitar Worldの新しいインタビューの中で語っています。

グドローは、解雇され、その後に法廷闘争に発展したけれども、彼はボストン時代の頃を「人生を変える経験だった。あの成功のおかげで、今のキャリアがある。ボストンでの年月を軽視することはできない」と語っています。

Q:ボストンのデモで、あなたがすべて、あるいはほとんどのギターを弾いたというのは本当ですか?

「最初にレコーディングしたのは、1969年の終わりか1970年の初めだった。トムと一緒にマサチューセッツのスタジオに入って、“San Francisco Day”という曲をレコーディングしたんだ。この曲は後に“Hitch a Ride”になった。

当時はレコーディングにすごくお金がかかったので、トムは自分で録音機材を揃え始めた。彼がどんどんのめり込んでいくにつれて、僕が弾く部分は減っていき、トムが弾く部分が増えていった。レコード契約を取るきっかけになったデモのほとんどは、トムが演奏していたよ」

Q:トムが演奏したものは、あなたが初期のデモで演奏したものと違っていましたか?

「多くの曲は何度も書き直されたので、僕が最初に弾いたのを追跡するのは難しい。例えば、後に“Hitch a Ride”になった“San Francisco Day”は僕がすべてのギターを弾いていたんだけど、トムが再録音したときも、その多くはそのまま残った。

最後のソロも、最初の数小節も僕が弾いていたソロと同じで、そこから先はトムが引き継いだ。さっきも言ったように、どの曲にもいくつかのヴァージョンがあって、“More Than a Feeling”も、あの形になるまでに何度も書き直されたヴァージョンがあるんだ」

Q:ボストンのアルバム制作において、もっと協力的な姿勢を期待していましたか?

「もちろん。特に最初のアルバムを終えて、『Don't Look Back』に取りかかったときはそう思っていた。トムは、本当に準備ができる前にアルバムを作るようにプレッシャーをかけられていると感じていた。僕たちは、それによって彼がもっと僕たちを巻き込んで、演奏にも参加させてくれることを期待していたんだけど、実際は逆だった。彼はますます孤立していき、すべて自分一人で演奏するようになったんだ」

Q:『Don't Look Back』の頃には、全体的にほとんど関与していなかったのですか?

「2枚目のアルバムには、1枚目よりも関わることが少なかった。残念だったよ。もしできるなら、毎日スタジオに行って、できることは何でもやりたかった。でも、そうはならなかった。アルバムが完成したときに、ツアーの準備のために、またバンドで集まることになったんだ」

Q:バンドは最初の2枚のアルバムがこんなにも成功すると思っていましたか?

「いや、全然思っていなかった。デモテープをいろんなレコード会社に送って、ほとんどすべてから断られたという話は聞いたことがあると思うけど、最終的に契約してくれたCBSも例外じゃないんだ! CBSの重役の一人、レニー・ペッツェは、僕たちに送った不採用通知のコピーを自分のオフィスの壁に貼っていた。他の人々にあの時のことを思い出させるためにね」

Q:『Don't Look Back』以降、なぜ状況が悪化し始めたのでしょうか?

「最後にツアーをしたのは79年の秋だった。ヨーロッパに行ったんだけど、トムはあまり乗り気じゃなくて、かなり不満そうだった。その雰囲気が僕たちにも伝わってきて、みんな何かが変わり始めていると感じていた。それが、僕がバンドを辞めるきっかけになったんだ」

Q:1980年、あなたがソロアルバム『Barry Goudreau』を録音したとき、あなたはまだメンバーでしたよね。その時はトムがサポートしていましたが、やがて彼はそうしなくなりました。

「ヨーロッパから戻った直後、トムがみんなを集めて“これから1年間休むつもりだ。もし他にやりたいことがあるなら、今がその時だ”と言ったんだよ。

トムがとても良い仕事をしていたので、僕はそれまで作曲にはあまり力を入れていなかった。それで、いくつかのアイデアを書き始めて、歌詞はブラッド(デルプ)に手伝ってもらった。何曲かできたところで、ブラッドと一緒にトムに聴かせに行ったんだ。

僕としては“いくつかはいいね。次のボストンのアルバムで使うかもしれない”と言ってくれることを期待していた。でも実際に言われたのは、“もしソロ・アルバムを作るなら、僕がプロデュースするよ”だった。レーベルが一番望んでいないのは、トムがボストン以外のプロジェクトに関わることだと分かっていたので、それは実現しないだろうと悟ったよ。

それで、ブラッドと僕はそのまま曲作りとレコーディングを続けた。1年という期間を念頭に置いてね。9ヶ月ほど経った頃、CBSがアルバムをリリースしてくれたんだ」

Q:CBSのプロモーションキャンペーンがトムを怒らせて、彼はあなたをボストンから解雇したそうですが、何があったのですか?

「みんな知っていると思うけど、トムは本当に不満だった。その広告には僕の写真が使われていて、“彼のギターの音を聴いた人は600万人。さあ、彼を紹介しましょう…”って書いてあった。僕としては、それを“ボストンでまだ知られていないもう一人のメンバーを紹介したい”という意味だと受け取ったんだけどね。

でもトムは、僕が自分こそがボストンの中心人物だとアピールしていると受け取った。それが大きな亀裂を生んだ。たぶんその3、4か月後くらいに、トムがバンドを集めて、もう僕とは一緒にやらないと言った。それが僕の去るタイミングだったんだ」

Q:ボストンとの別れについて、後悔はありますか?

「まあ、もう少し違うやり方ができたかもしれない。トムが僕たちに1年の期限をくれていたから、その期限内に実現するように集中していた。もしもう少し肩の力を抜いて、もう少し時間をかけていたら、どうなっていたかわからないね」

Q:もしできるなら、そのアルバムをやり直したいですか?

「いいアルバムだったと思うよ。ちょっと急ぎすぎたかもしれないけど。もし後悔があるとすれば、バンドを辞めた時の対応の仕方だね」

Q:トムと和解できましたか?

「残念ながらできていない。7年ほど前、彼は僕を商標権侵害で連邦裁判所に訴えた。当然ながら、楽しい経験ではなかった。彼は裁判に負けたが、とてもつらい時期だった」

Q:ボストンのデビュー50周年を記念してリユニオンはありますか?

「ブラッド・デルプは亡くなり、シブ・ハシアンも他界し、フラン・シーンは手を負傷してもう演奏していない。リユニオンの望みはほとんどない。それでも今でも多くの人が僕のライヴに来てくれるし、僕自身も本当に楽しんでる。素晴らしいキャリアを歩んできたし、文句のつけようがないよ」