
Paul McCartney and Brian Ray
この20年、
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)の右腕として、ポールが曲ごとに何を演奏するかによってギターとベースを担当してきた
ブライアン・レイ(Brian Ray)。米Guitar Worldの新しいインタビューの中で、このポジションを獲得するための経緯を改めて語り、数百万人の観客/視聴者の前で公開オーディションを受けたことを振り返っています。
ポールは2002年、NFL第36回スーパーボウルにて試合前にパフォーマンスを行いました。これはレイにとってポールのバンドとの初共演であり、まさに試練の舞台でした。
「シャキーラとアルバム(2001年『Laundry Service』)を作った後、彼女のツアーに参加するように頼まれた。彼女のスタッフに希望する給料を伝えたら、彼らは同意してくれたんだけど、その後、長距離のフライトが多いのでビジネスクラスでの移動が必要だと言ったら、それが問題になってしまって、彼らは他の人を雇ってしまった。何年も仕事があったはずなのに、それを逃してしまったので、あの時はちょっと自分を責めたよ。
少し後、友人の(ドラマーの)エイブラハム・ラボリエル・ジュニアが僕の誕生日パーティーに来てくれた。彼とはフランスでジョニー・アリディやミレーヌ・ファルメールと一緒に仕事をしたことがあって、その時、エイブはポール・マッカートニーと一緒に演奏していた。
彼にライヴの予定はあるのか尋ねたら、スーパーボウルで国歌を歌唱する前に演奏しようと考えていると言っていた。それで僕は“ポールがベースを弾くとき、誰がギターを弾くの?ポールがギターを弾くとき、誰がベースを弾くの?”と聞いたら、エイブは“実は、ベースも少し弾けるギタリストを探しているんだ”と答えたんだ。
僕は“その仕事のチャンスが欲しい”と言った。そしたらエイブが僕を推薦してくれて、ポールの作品をたくさんプロデュースしていたデヴィッド・カーンから電話がかかってきた。デヴィッドに会いに行って、一緒に時間を過ごした。ギターとベースを弾いたら、彼は“いいね。君の名前を推薦するよ”って言ってくれたんだよ」
カーンは、他にも4人の候補者がいて、最終的な決定は自身の手に委ねられていないとレイに伝えました。
「彼に感謝して、その場を離れた。翌日、電話がかかってきた。“ポール・マッカートニーと1曲演奏するために、明日ニューオーリンズに行く飛行機に乗れるかい?”」
その電話で、レイの人生が変わりました。レイによると、「スーパーボウルで“Freedom”を演奏したのが、僕のオーディションだったんだ」。
レイはスーパーボウルでのパフォーマンスを終えた後について、こう振り返っています。
「その夜遅く、みんながホテルのバーに戻った。ポールは数時間ほど話をした後、“みんな、ありがとう。もう寝よう”と言った。彼は皆にハグをして帰ろうとしていたんだけど、その前に僕のところにやってきて“おやすみ、ブライアン。ようこそ。ラスティ(アンダーソン)ついていけばいい、彼はいろいろと教えてくれるはずだから”と言ってくれたんだ」
レイは、来るべきツアーに備えて「家に急いで帰り、5週間ひたすら準備した」という。彼が心配していたのはギターの演奏ではなく、ベースでした。
「(それまでは)デモでしかベースを弾いていなかったので、ポールのバンドで演奏する準備をするのは大変だった。幸いなことに、ポールのベースラインは、象徴的で記憶に残る音楽的なものだけど、技術的にはそれほど難しいものではない。ただ単に素晴らしい。聴きやすいので、理解しやすいんだ。正直なところ、それは僕たちの血肉となっている。ベーシストでなくても、これらのパートは知っている。頭の中に刻み込まれているからね」