数々の名盤にその名を刻むドラム・レジェンド、
ビリー・コブハム(Billy Cobham/80歳)。英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で印象的なエピソードを語っています。
ヒュー・マセケラ(Hugh Masekela)のオーディションを受けるように頼まれた時、コブハムはマセケラのことを知りませんでした。
「彼のバンドがリハーサルしているのを聴いて、いい音だなと思った。僕は当時、若くて生意気だったので、ヒューに“結婚式やバルミツバ(ユダヤ教の成人式)なら手配できるよ”と言ったんだ。彼が“Grazing in the Grass”で大ヒットを飛ばしたばかりだとは全く知らなかった。僕は雇われる前に解雇されたんだよ(笑)。
一緒に演奏した人たちから学んだし、もし誰かと演奏した後に電話がかかってこなければ、なぜなのか、何が悪かったのか、何と言ったのが間違っていたのかを学ばなければならなかった。学びは決して終わらない。今でも学び続けているよ。
(Q:今なら誰もあなたを解雇できないでしょう?)
そうだけど、でも、僕がバンドリーダーだからといって、みんなに何を演奏するか指示するわけではない。音楽は共有するもの、聴き合うものだから、もし僕がミスをしたら、一緒に演奏するミュージシャンたちに指摘してもらいたいと思っているよ」
コブハムの転機は1970年、
マイルス・デイヴィス(Miles Davis)から彼のアルバム『Jack Johnson』のセッションに参加するよう招かれた時でした。その結果生まれたアルバムは、おそらくマイルスがこれまでに録音した中で最も激しい音楽であり、ジャズ・ロックの頂点として位置付けられています。
「僕たちは映画のサウンドトラックとして音楽を録音していることを分かっていたけど、リハーサルでやったことと実際に録音したものは完全に違っていた。
スタジオにいて、マイルスはコントロールルームにいて、ジョン・マクラフリンがギターを弾き始めたので、そこで僕が入ると、なんと! ベーシストのマイケル・ヘンダーソンが重いグルーヴを刻み始めた。マイルスはコントロールルームから飛び出してきて、あのガラガラ声で僕たちを“テイクの合間に演奏するなって言っただろう!”と叱責した。でもジョンは止まらなかった。だからまた演奏が始まり、するとマイルスがホーンを持ってスタジオに駆け込んできて、“録音ボタンを押せ”と叫び、僕たちの録音は始まった。僕たちはそのアルバムを正午までに完成させた。言うべきことはすべて言い尽くした。音楽を作ることは時にそのようなものなんだ。
(マイルスはバンドリーダーとして)多くは語らなかった。彼から学んだのは、みんなが何を演奏しているかをよく聴いて、それに合わせることだった。“My Funny Valentine”を演奏していた時、ハービー・ハンコックが間違ったコードを弾いたが、マイルスはそれを気に入り、その方向で音楽を進めた。ジャズは完璧さを求めるものではないんだ」
マッシヴ・アタックのデビューアルバム『Blue Lines』には、コブハムの1973年アルバム『Spectrum』のトラック「Stratus」の脈打つベースとドラムで始まります。
「自分の音楽をサンプリングして、自分なりのタッチやアレンジを加えたいと思ってくれる人がいるのは嬉しいよ。もし僕がグルーヴを渡せるなら喜んでそうする。だって、それは僕だけのものじゃなくて、みんなのものだからね。(ロイヤルティもありがたい)食べ物を買わなきゃいけないからね」
コブハムの幅広い楽曲は200回以上サンプリングされています。洗練されたジャズ・ファンクからグレイトフル・デッド、クインシー・ジョーンズ、チャカ・カーン、キューバのバンドAsereとのコラボレーションまで、多様なジャンルをカヴァーしているからです。
「新しい人と働き、新鮮さを保つのが好きなんだ。最近、ブルーノ・マーズのドラマーに連絡を取った。彼は本当に興味深いことをやっていると思う。まだ返事はもらっていないけれど、それでいい。彼は僕のことをちょっと変わってると思っているのかもしれないね」
コブハムは現在、人工股関節を二つ入れているという。
「人工股関節を二つ入れて、すべてを一から学び直しているところなんだ。これまで当たり前のようにやっていた車の乗り方を、今また学び直しているんだよ! でも、ドラミングには影響していない。手も足も問題ない。演奏する準備はできているよ」