ルー・リード(Lou Reed)が
デヴィッド・バーン(David Byrne)にしたアドバイスに「長袖のシャツを着ろ。誰も毛むくじゃらの腕なんか見たくないんだから」があるという。
トーキング・ヘッズ(Talking Heads)の
ジェリー・ハリスン(Jerry Harrison)は、デビューアルバム『Talking Heads: 77』の再発にあわせた米Guitar Worldの最近のインタビューの中で、バンドの初期について振り返っています。
Q:トーキング・ヘッズはデビュー・アルバムの少し前に、あなたをスカウトしました。噂によると、あなたは彼らをライヴで見た時、興味を惹かれたものの、感銘を受けたというほどではなかったそうですね。
「初めて彼らを見た時、すごくユニークだと思ったよ。半年後くらいにまた見た時に、その素晴らしさに気づいたんだ。その後、彼らからオーディションを受けてみないかと誘われたんだ。
面白い話なんだ。彼らはキーボード奏者を探していた。僕の前のバンド、モダン・ラヴァーズはほぼ破産状態で、僕は本当に本当にお金がなかった。だから、トーキング・ヘッズのオーディションを受けるためにニューヨークに行く唯一の方法は、ちょうどそこへ引っ越す家族をバンドのバンに乗せていくことだけだった。
バンに荷物をいっぱい積み込んだら、オルガンを入れるスペースがなくなっちゃってね。だからギターを持っていった。そしたら彼らに“君はキーボード奏者だと思ってたんだけど”と言われたよ。僕は“まあ、そうなんだけど、とりあえず何か演奏しようよ”と答えたんだ。彼らはクリスティ・ストリートにあるファンキーなロフトに住んでいて、まず中華料理を食べに行って、戻ってきてからセッションを始めたんだ。
僕は彼らのサウンドを引き立てたかった。オーディションを受けた他の多くの人たちは、自分がいかに巧みか、どんなことができるかを見せようとしていたと思う。
僕はむしろ軽いタッチで、ティナ(ウェイマス)とデヴィッド(バーン)が弾いていることをよく聴くように心がけた。時にはダブリングしたり、ベースとギターの両方に影響されたパートを弾いたりしてね。その方が、より自然に溶け込んでいるように思えたからね。
デヴィッドと一緒にギターを弾くのは楽しかったよ。テレヴィジョンのトム・ヴァーレインとリチャード・ロイドのレベルに達したとは言わないけど、素晴らしいインタープレイと、そういうやり取りができていたんだ」
Q:(ニューヨークの)サンドラゴン・スタジオでの『Talking Heads: 77』セッションについて、覚えていることはありますか?
「僕たちのことを全く理解していないプロデューサーがいたよ。トニー・ボンジョヴィ(ジョン・ボン・ジョヴィのいとこ)。彼は音楽の技術的なサウンド面は本当によく理解していたけどね。彼はランス・クインを共同プロデューサーとして連れてきていた。ランスはセッション・ギタリストでもあって、僕たちがなかなかパートをうまく弾けないでいると、トニーがイライラしてきて、“ランス!お前が弾け!”って叫んでいたよ。ランスは“トニー、僕が彼らみたいに演奏するには、彼らに正しく演奏させるよりもずっと時間がかかる”と言っていた。トニーなんて、飛行機の雑誌とか読んでいたしね。
(次回作をプロデュースした)ブライアン・イーノに会ったとき、“僕たちと同じように考えてくれるプロデューサーが本当に欲しい”と思った理由の一つが、そこにあるんだと思うよ」
Q:ルー・リードも一時的に『Talking Heads: 77』のプロデューサー候補に挙がっていましたね。
「もしそうなっていたら、違ったものになっていただろうね。でも、当時のルーはイライラしていた。僕は彼がスピード(ドラッグ)依存症が一番ひどかった時期、『Rock 'n' Roll Animal』(1974年)の頃のルーを知っていたからね。
でも、彼はデヴィッドに面白いアドバイスをしていた。“長袖のシャツを着ろ。誰も毛むくじゃらの腕なんか見たくないんだから”。もう一つ言っていたのは“一度自分のスタイルを決めたら、絶対に変えるな。人に覚えてもらいたいだろ”。もちろん、彼の親友デヴィッド・ボウイはそのアドバイスを逆手に取ったけどね」
Q:ジャーナリストはいつもトーキング・ヘッズをジャンル分けするのに苦労していますよね。あなたはどう思いますか?
「CBGBに出ていたバンドたちとは皆、“自分たちのやり方でやる”という考えを共有していた。1978年に(アルバム)『More Songs About Buildings and Food』で(アル・グリーンのカヴァーである)“Take Me to the River”をやったとき、みんな“ああ!彼らの影響元が何なのかずっと考えていたけど、本当はR&Bだったんだ!”と気づいたと思う。それこそが、僕たちみんなが大好きだったものなんだ」