矢沢永吉の盟友で、ロックバンドNOBODYのメンバーとして吉川晃司の「モニカ」やアン・ルイスの「六本木心中」などのヒット曲を作曲した、ギタリストの木原敏雄が死去。NOBODYの公式サイトにて、NOBODYの相棒・相沢行夫が発表。75歳でした。
以下、
NOBODYの公式サイトより
「訃報 NOBODY 木原敏雄は2025年3月25日 75歳にて永眠いたしました 言葉もありません」
木原敏雄は明治大時代、キャロル結成前の矢沢永吉と音楽活動を共にし、矢沢永吉の盟友として知られていた。1977年、矢沢のアルバム『ドアを開けろ』に収録されている「世話がやけるぜ」と「通りすがりの恋」で作詞を担当し作詞家デビューした。
1969年には神奈川大学の学園祭にて、イーグルスとして出演していた相沢行夫と出会う。矢沢永吉のバックメンバーを担当していた2人は1981年にNOBODYを結成した。
バンド活動の一方で、楽曲提供も活発に行った。1981年、NOBODYとして初めての作品「浮気な、パレット・キャット」をハウンド・ドッグに提供。その後、吉川晃司に「モニカ」「ユー・ガッタ・チャンス」)、アン・ルイス「六本木心中」など、数々のヒット曲を提供した。