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レッド・ツェッペリン/ビッグ・スター/ZZトップ/スタックス等 プロデューサー/エンジニア/写真家のテリー・マニング死去

2025/03/27 09:55掲載
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Terry Manning  (Photo: Josh Reynolds)
Terry Manning (Photo: Josh Reynolds)
レッド・ツェッペリン、ビッグ・スター、ZZトップ、スタックス・レコード/アーデント・レコード、コンパス・ポイント・スタジオなどでの仕事でも知られる、米国のプロデューサー/エンジニア/ミュージシャン/ソングライター/写真家のテリー・マニング(Terry Manning)が死去。テネシー州メンフィスの新聞Memphis Flyerや米Relix誌は、マニングが自宅での転落事故のため3月25日に亡くなったことを彼の妻に確認しています。77歳でした。

テリー・マニングは音楽業界で60年以上にわたり、数々の著名アーティストと共演し、数百ものレコーディングを手がけた。

マニングはテキサス州エル・パソで育つ。テネシー州メンフィスに移住後、マニングはスタックス・レコードとアーデント・スタジオの両社でエンジニアおよびプロデューサーとして長年働き、レコーディングとミキシングを担当した。

マニングはスタックスのオーナーであるアル・ベルのプロダクションチームの主要メンバーとして、ザ・ステイプル・シンガーズの「Heavy Makes You Happy」、「Respect Yourself」、「I'll Take You There」などのヒット曲にアレンジ、作曲、制作、演奏で参加した。

その後、アレックス・チルトンと親しくなったマニングは、アーデント・レコードにチルトンの新しいグループ、ビッグ・スターと契約するように促し、ビッグ・スターのデビューアルバム『#1 Record』では、マニングがキーボード、バッキング・ボーカル、プロデュースを担当した。

1966年、ヤードバーズが全米ツアーを行っている間、マニングはジミー・ペイジと親しい友人になった。2人はその後も親交を深め、4年後、ペイジはマニングにミキシング/マスタリング・エンジニアとして『Led Zeppelin III』に独自の視点をもたらすよう依頼した。

レッド・ツェッペリンとの仕事により、マニングの知名度はさらに上昇した。彼に注目した人物の一人に、ZZトップのビリー・ギボンズがいた。1973年のアルバム『Tres Hombres』のエンジニアリング/ミキシングを担当したことをきっかけに、マニングとZZトップは18年間にわたる緊密なコラボレーションを開始し、アルバム『Tejas』、『Deguello』、『Recycler』、そして1983年の『Eliminator』などが誕生した。

1992年、アイランド・レコードの設立者クリス・ブラックウェルは伝説的なコンパス・ポイント・スタジオの再建をマニングに依頼し、マニングはすぐにスタジオをかつての栄光を取り戻した。マニングはその後20年以上にわたってスタジオを運営し、アル・グリーン、スライ&ロビー、レニー・クラヴィッツ、シャキーラ、シェイニア・トゥエイン、ブライアン・アダムスなど、数多くのアーティストのレコーディングを指揮した。

音楽業界での幅広いキャリアに加え、マニングは写真にも生涯にわたる興味を抱いていた。彼はカラー写真の普及者であり巨匠である写真家ウィリアム・エグルストンと親交があり、若き日のマニングの指導者として、ウィリアム・クリステンベリー、リー・フリードランダーなどの他の写真家を紹介した。マニングは、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、チャック・ベリー、ダスティ・スプリングフィールド、プロコル・ハルムなど、数多くのアーティストを撮影し、アーティストとNMEの両方に写真を寄稿し、長年にわたって執筆と写真を提供した。

多作なキャリアの最後の幕引きとして、マニングは自身のプロジェクトに目を向けた。1990年代半ばにはラッキー・セブン・レコーズを設立。2013年からは、このレーベルを通じて自身のオリジナル録音作品をリリースした。2025年1月には5枚目のスタジオアルバム『Red and Black』をリリースしていた。