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J・ガイルズ・バンドのピーター・ウルフ、ボブ・ディラン/デヴィッド・リンチ/ヴァン・モリソン/プリンスらとのエピソード語る

2025/03/06 17:54掲載
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Peter Wolf / Waiting on the Moon: Artists, Poets, Drifters, Grifters, and Goddesses
Peter Wolf / Waiting on the Moon: Artists, Poets, Drifters, Grifters, and Goddesses
J・ガイルズ・バンド(J. Geils Band)のフロントマンであるピーター・ウルフ(Peter Wolf/78歳)は回顧録『Waiting on the Moon: Artists, Poets, Drifters, Grifters, and Goddesses』を海外で3月11日に発売します。出版にあわせ、英ガーディアン紙のインタビューに応じ、ボブ・ディラン(Bob Dylan)デヴィッド・リンチ(David Lynch)ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)ヴァン・モリソン(Van Morrison)プリンス(Prince)とのエピソードについて語っています。

■ボブ・ディラン

ウルフは60年初頭にグリニッジ・ヴィレッジに到着してすぐに、ボブ・ディランの初期のライヴに参加しました。ディランの作品の持つ先見性は、ウルフに、ディランが偉大なアーティストであるだけでなく、予見者であることを確信させたという。彼はその確信を深め、ある日ディランを追い詰めて「真実とは何か?」と迫ったという。その質問に対して、ディランはあらゆる物事の不可知性について長々と熱弁を振るったという。その様子をウルフは本の中で2ページにわたって詳しく述べています。ウルフは「自業自得だね」と笑いながら語っています。

■デヴィッド・リンチ

絵画のスキルを磨くため、ウルフはボストンの美術学校(スクール・オブ・ザ・ミュージアム・オブ・ファイン・アーツ)に通りました。そこで最初のルームメイトとなったのは、同じく美術の道を志していた若きデヴィッド・リンチでした。

「その頃は映画の話など一切出ませんでした。俺たちは本当に奇妙なコンビだった。デヴィッドはプレッピースタイルの世界からやって来て、ビーチ・ボーイズやフォー・シーズンズに夢中だった。一方、俺はグリニッジ・ヴィレッジ出身の放蕩者で、セロニアス・モンクを聴いていた」

リンチはきちんとした身なりをしていましたが、ある日、歯を磨いているときに、彼が将来抱くことになるシュールレアリスムの要素が垣間見えたという。リンチは歯ブラシにゴキブリの死骸が絡まっていることに気づかず、その結果、彼の歯には虫の死骸が散乱していたという。

■ハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズ

ボストン滞在中、ウルフはR&Bバンド、Hallucinationsで演奏するようになりました。このバンドは、ハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズといった彼と同世代のスターのオープニング・アクトを務めていました。彼はウルフとウォーターズは特に親しくなったという。

「マディは全く異なる文化からやって来たが、俺の布団に座って、若い頃はカントリー界の伝説的人物ジーン・オートリーを歌っていたと話してくれた。俺にとってそれは衝撃的でした」

ウルフは、ハウリン・ウルフの天才的な才能に加えて、金銭的な報酬がほとんどなくてもキャリアを維持しようとする彼の決意に惹かれたという。

「彼は、ノワール映画に出てくるような、黄色い窓の日よけと、へたっているベッドのある安宿に泊まっていた。それでも彼はやり続けたんだ」

■ヴァン・モリソン

1968年頃、ウルフは、最先端の音楽を熱心に支持するボストンのラジオ局WBCNでDJとして働き始めていました。その仕事の中で、彼は「もっとヴァン・モリソンを流してほしい」という匿名の手紙を何度も受け取るようになったという。しばらくして、ヴァン・モリソン本人と親しくなってから、ウルフは、その手紙がモリソンのガールフレンド、時には本人によって書かれたものだと知りました。

「彼はモンゴ・ボンゴとサインしていた。今でも持っているよ」

当時は、モリソンがニューヨークのレコード会社との法的な問題から逃れるためにボストンに身を隠していた、彼の人生にとって苦難の時期でした。

「ヴァンはまったくお金がなく、途方に暮れていた。俺が彼に避難場所を提供したんだ」

モリソンは当時、彼だけでなく音楽そのもののゲームチェンジャーとなるアルバム『Astral Weeks』の革新的なサウンドを開発していました。ウルフがモリソンについて語る際には、彼への愛情が感じられると同時に、突発的な暴言やステージ直前の出演拒否など、彼が有名になった気難しさも捉えています。ウルフは彼を気難しいと表現するのではなく、「気分屋」と表現し、「ヴァンはくだらないことは相手にしない」と語っています。

■プリンス

J・ガイルズ・バンドが転機を迎えたのは、80年代初頭にEMIレコードに移籍してからで、アルバム『Freeze-Frame』が全米1位を獲得した。この成功により、ストーンズのツアーのオープニングを務めることになり、また、若き日のプリンスがスタジアムで初めてパフォーマンスを披露することにもなりました。驚くべきことに、プリンスはしばしばブーイングを浴びせられてステージから降ろされていたという。

「人種的な理由からではなかった。トレンチコートを着て“Jerk U Off”のような曲を歌うプリンスを目撃するのは、当時の一般的なAORロックファンにとってはあまりにも突飛すぎたんだよ」