バッドフィンガー(Badfinger)のクラシック・ラインナップの中で唯一の存命メンバーだった
ジョーイ・モーランド(Joey Molland)が死去。Original BadfingerのFacebookページで発表。77歳でした。
ジョーイは2024年12月初旬から入院し、長年の交際相手であるメアリー・ジョイスは2025年1月、彼の医療費を捻出するためのクラウドファンディング・キャンペーンをGoFundMeで開始していました。メアリーはこの時、ジョーイの状況を「ジョーイは秋の間ずっと体調がすぐれず、12月初旬には糖尿病が原因でひどい細菌感染症にかかりました。感染症は敗血症を引き起こし、体全体に広がり、複数の重要な臓器や骨に損傷を与えました。いくつかの手術や処置も必要でした」「最近、彼は再び肺炎と診断され、複数の病と闘っているため、意識がはっきりしない時があります」と説明していました。
以下、Original BadfingerのFacebookページより。
「私たちが決して見たくなかった日がやってきてしまいました。
ジョーイ(ジョセフ・チャールズ)モーランドは昨夜(3月1日)、メアリー、2人の息子、その他の家族に見守られながら、(米国中部標準時)午後11時39分に亡くなりました。
葬儀の準備に関する情報が届きましたら、ここに投稿します。
(中略)
言うまでもなく、状況が悪いことはわかっていましたが、それでもやはりショックでした。初めてここで知った方もショックを受けていると思います。
バッドフィンガー万歳。
ジョーイ、ありがとう。バンドの音楽を長きにわたって生き続けさせてくれて、そして僕らの友人でいてくれて」
ジョーイ・モーランドことジョセフ・チャールズ・モランドは英リバプール出身。
ジョーイのレコーディングキャリアは1967年に、ウォーカー・ブラザーズのゲイリー・ウォーカーのグループ、ゲイリー・ウォーカー&ザ・レインに参加したときに本格的に始まった。このグループの唯一のアルバム『#1』は当初、ウォーカー・ブラザーズのファンが多かった日本でのみリリースされた。アルバムにはジョーイの曲が4曲収録されている。ゲイリー・ウォーカー&ザ・レインは本国のイギリスでは成功せず、1969年に解散した。
同年、ジョーイは当時ビートルズのアップル・レコードと契約していたアイヴィーズに加入した。ピート・ハム(ヴォーカル)、マイク・ギビンズ(ドラム)、トム・エヴァンス(ベース)、そしてジョーイによるこのバンドはバッドフィンガーと改名し、1969年12月にポール・マッカートニー作詞・作曲の「Come And Get It」で再デビューを果たす。この曲は大ヒットとなり、米国で7位、英国で4位を記録した。
ジョーイはその後、バッドフィンガーのスタジオアルバム7タイトルに参加した。 バンドは1970年代初頭に商業的な絶頂期を迎え、「No Matter What」、「Day After Day」、「Baby Blue」などのヒット曲を世に送り出した。
アップルとの関わりを通じて、ジョーイはビートルズのメンバーたちともさらにコラボレーションを行うことになる。ジョージ・ハリスンの2枚のアルバム『All Things Must Pass』と『The Concert For Bangla Desh』、ジョン・レノンのアルバム『Imagin』に参加した。
1974年後半、ジョーイはマネージメントをめぐる意見の相違からバッドフィンガーを脱退した。
70年代後半はバッドフィンガーの人気も低迷しており、ワーナー・ブラザーズへの移籍も売れ行き不振を改善するにはほとんど役立たなかった。バンドは混乱と財政難に苦しみ、その主な原因は詐欺師マネージャー、スタン・ポリーによる横領であった。1975年、ピート・ハムが自殺したことでバンドはその後まもなく解散した。
ジョーイは1975年、元ハンブル・パイのジェリー・シャーリーらとナチュラル・ガスというグループを結成。1976年に解散する前に、同名のアルバムを1枚リリースした。
その後、ジョーイとトム・エヴァンズは新たなメンバーを加えてバッドフィンガーを復活させることを決意した。再結成後は2枚のアルバムをリリースしたが、成功は収められなかった。財政難はバンドを悩ませ続け、ジョーイとトムは袂を分かつこととなり、2人はそれぞれバッドフィンガーを名乗り、2つのバッドフィンガーが存在する時期もあった。1983年にトム・エヴァンズが自殺した。
ジョーイはソロ活動を開始し、6枚のスタジオアルバムをリリースした。最新アルバム『Be True to Yourself』は2020年にリリースされた。
ジョーイはジョーイ・モーランドズ・バッドフィンガーという名前でツアーを続けた。
2005年、マイク・ギビンズが亡くなり、ジョーイはバッドフィンガーのクラシック・ラインナップの中で唯一の存命メンバーだった。