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ニューヨーク・ドールズのフロントマン、デヴィッド・ヨハンセン死去

2025/03/02 01:15掲載(Last Update:2025/03/02 01:54)
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David Johansen
David Johansen
ニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のフロントマンで、同バンドの最後の存命メンバーであったデヴィッド・ヨハンセン(David Johansen)が死去。彼の娘であるリア・ヘネシーによると、ヨハンセンは2月28日にニューヨークの自宅で亡くなりました。75歳でした。

ヨハンセンの家族は2025年2月、ヨハンセンが10年前にステージ4の癌と診断され、5年前には脳腫瘍があることが分かり、長年闘病していることを公表。またさらに、2024年11月には自宅で転倒し、背骨を2か所骨折したため、寝たきりで動けなくなっていることも明かしていました、家族は同月、24時間体制の介護費用を募るための基金を立ち上げていました。

デヴィッド・ヨハンセンは1950年にニューヨークのスタテンアイランドで生まれる。1960年代に地元のバンド、ヴァガボンド・ミッショナリーズ(Vagabond Missionaries)で歌手としてのキャリアをスタートさせた。

1971年、ヨハンセンは結成間もないニューヨーク・ドールズに加わる。1973年にはトッド・ラングレンがプロデュースしたニューヨーク・ドールズのデビュー・アルバム『New York Dolls』がリリースされる。デヴィッド・ボウイなどのロッカーたちが当時表現していたジェンダーの境界を越えたスタイルを反映し、アルバム・カヴァーではメンバーが女装した姿がフィーチャーされていた。

ニューヨーク・ドールズは1974年に『Too Much Too Soon』をリリースした後、1976年に解散した。バンドは大きな商業的成功を収めることはなく、活動期間も短かったが、後のパンク・ロックに多大な影響を及ぼした。特にデビュー・アルバム『New York Dolls』はロックミュージックにおける最高のデビューアルバムの1つであり、史上最高のロックアルバムの1つとして高く評価されている。

解散後、ヨハンセンはソロとしてパフォーマンスやアルバムのリリースを続けた。また1980年代後半には、ジャズ調のサウンドやレトロなパフォーマーの流行に乗って、ラウンジ歌手のバスター・ポインデクスター(Buster Poindexter)名義でも活動した。

ヨハンセンは俳優としてのキャリアもスタートさせ、映画『3人のゴースト』(1988年)、『パトカー54/応答せよ!』(1994年)、ドラマシリーズ『OZ/オズ』などに出演した。

ニューヨーク・ドールズは2004年に再結成。ヨハンセンはシルヴェイン・シルヴェイン 、アーサー・"キラー"・ケインらとともにアルバムをリリースし、ツアーを行った。

2023年にはマーティン・スコセッシとデヴィッド・テデスキが監督したヨハンセンのドキュメンタリー映画『Personality Crisis: One Night Only』が公開された。

ドキュメンタリー映画『Personality Crisis: One Night Only』のトレーラー映像