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「まったく音楽的じゃない」リック・ルービンがザ・カルトをどのように変貌させたか? 「かなりトラウマになった」とビリー・ダフィーが回想

2025/02/27 18:19掲載(Last Update:2025/02/27 18:20)
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The Cult / Electric
The Cult / Electric
リック・ルービン(Rick Rubin)のプロデュース・ワークは、ミュージシャンから「よくわからない」と言われることもありますが、「まったく音楽的じゃないルービンとの作業が、かなりトラウマになった」と新たに明かしたのは、ザ・カルト(The Cult)のギタリスト、ビリー・ダフィー(Billy Duffy)。ポッドキャスト『Rockonteurs』のインタビューの中で、ザ・カルトの1987年のアルバム『Electric』でプロデューサーのリック・ルービンがザ・カルトをどのように変貌させたのか振り返っています。

ザ・カルトは前作『Love』(1985年)で大きな成功を収め、商業的にブレイクを果たしました。彼らの次のアルバムは当初『Peace』というタイトルで、同じプロデューサーのスティーヴ・ブラウンと制作を進めていましたが、出来上がったアルバムは全体的に物足りないものになっていました。そこで彼らはリック・ルービンの力を借りることにしました。

「俺らはバンドとして進歩しようとしていたけど、実際にはそうではなかった。まるで、それぞれの陣営に片足ずつ突っ込んでいるような状態だったんだ。

簡単に言えば、俺らはリック・ルービンのことを耳にしたことがあった。カナダの友人から聞いていたんだ。俺たちはニューヨークでリック・ルービンに会った。リックはミックスだけを担当することになった。彼は“君たちのアルバム全体をリミックスするから、1曲は最初から録音させてくれ”と言った。それが取引条件だった。だから俺たちは“いいよ”と答えた。レコード会社は、ものすごく費用のかかったアルバムをもう一度録音させてくれるはずはないだろうからね。それから、ニューヨークで機材をすべてレンタルした。1曲だからね。ギターは何も持ってきていなかった。アンプもドラムもギターもすべてレンタルした。

それから、リックが...表向きには、これは新しい録音ということになっていた。それで彼は俺にただこう言ったんだ。“アルバムの中で一番嫌いな曲は?”“どれが一番がっかりした?”みたいなことね。

思い出したんだけど、たしか“Peace Dog”だったと思う。“これは好きじゃないな、長すぎる”と言ったんだ。すると彼は“よし、それならまずそこから始めよう”と言って、俺たちはリック・ルービン流のやり方に取り組み始めた。彼はその手法で実績を上げていたわけだからね。

彼がプロデュースしたバンドで、基本的なドラムセットを使っていたのは俺たちが初めてだったと思う。俺たちはエレクトリック・レディ・スタジオに行って、メインルームにセットアップして、何テイクも重ねたんだ。

彼はアンディ・ウォレスをエンジニアとして雇っていた。リックはいつも素晴らしいエンジニアを起用していた。彼は愚かじゃない。ジョージ・ドラクーリアスもずっとそこにいた。リックとジョージはチームのようなものだった。リックはシニアパートナーだと言うべきだろうが、ジョージの方が音楽的だったから、リックとジョージは文字通りパートナーだった。リックは音楽的ではないんだ、まったくね。

(そうやってアルバム全体を徐々に解体していったのですか?)

そう、まさに文字通り、その場でアルバムを解体した。(あまり使い慣れていない機材で自分のパートを録り直すことになった)俺はグレッチにローランド(のエフェクターの)コーラスとエコーを足したんだ。すると彼は“マーシャル、レスポールはいい。それ以外はあっちへ行ってしまえ”という感じだったんだ。かなりトラウマになったよ」

バンドのサウンドを再構築したルービンのプロデュースは成功し、『Electric』は特にアメリカでのザ・カルトの人気を決定づけ、プラチナ・アルバムとなり、今でもその時代の最高のロックアルバムのひとつと評価されています。このアルバムは書籍『1001 Albums You Must Hear Before You Die』で紹介されています。