
Jeff baxter / Speed of Heat
スティーリー・ダン(Steely Dan)や
ドゥービー・ブラザーズ(The Doobie Brothers)での活躍でも知られ、またセッション・ミュージシャンとして数々の名盤の誕生に貢献してきた、ギタリストの
ジェフ・“スカンク”・バクスター(Jeff "Skunk" Baxter)。かつて、あるアルバムの制作に20本のギターを持ち込んで参加するが、彼自身は「何も弾かない」ことを選択して報酬を得たことがあったという。Vultureの新しいインタビューの中で語っています。またスタジオミュージシャンとしての自身の人生を職人に例えて語り、スティーリー・ダンやドゥービー・ブラザーズのレコーディングも振り返っています。
■スタジオミュージシャンとしての自身の人生を職人に例える
「基本的には待機して、連絡を待っているだけ。救急隊員とか、大工とか、そのほかのさまざまな仕事を組み合わせたようなもので、最終的にアーティストを満足させるためにいる。自分のエゴは脇に置いて、仕事をこなすんだ。僕は、他の人の音楽の夢を叶える手助けをすることに大きな誇りと喜びを感じている。素晴らしい気分だよ」
■「何も弾かない」ことに対する報酬
「ゲイリー・カッツは、ご存知のように、スティーリー・ダンのプロデューサーだった。それがきっかけで、他のアーティストのプロデュースを手がける機会も増えた。ある晩、彼から電話があり、“とても才能のあるシンガーとアルバムを完成させたところだ”と言っていた。そのシンガーの名前は伏せておきます。彼から“君にスタジオに来てもらって、すべてを聴いて、何が必要かを教えてほしい”と言われた。それで数日後、スタジオに行くと、すべてが準備されていた。僕は、おそらく20本のギターと6種類の異なるアンプを持ち込んだと思う。何が必要になるかわからないので、可能性があるものはすべて用意しておくのです。ゲイリーは“座って聴いてくれ”と言うので、アルバムを最初から最後まで聴いた。そして彼の方を向いて“何も足す必要はない。完璧だ”と言った。するとゲイリーは僕の方を向いて“だから君に3倍のギャラを払っているんだ”と言っていた。弾かないことにも何かしらの意味があるということです」
■Steely Dan, “My Old School” (1973)
「当時はあまり稼いでいなかったので、楽器店でギターの修理の仕事をしていた。スティーリー・ダンがこの曲をやると知っていたので、ちょうどストラトキャスターを組み立て終えたところだった。 何も装飾のない、重さが10ポンドほどある、とても重い楽器だった。車の前に置いて車が動かないようにする、あの小さなコンクリートのブロックを知っているかい? ストラトキャスターをその2つの間に挟んで、車の後ろに置いて、スタジオまで持っていった。珍しくあまりテイクを録音しなかった。ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは何度も何度も何度も何度もやりたがるからね。また、明確な指示もなかった、これもまた珍しいことだった。当時のスティーリー・ダンは、どちらかというと“バンド”という感じで、みんながそれぞれの専門分野から貢献していた。僕はとにかくやっただけだけど、みんなはそれを気に入ったようです」
■Steely Dan, “East St. Louis Toodle-Oo” (1974)
「僕が最も楽しくレコーディングしたスティーリー・ダンの曲は“East St. Louis Toodle-Oo”というデューク・エリントンのカヴァーだった。僕たちは皆、デューク・エリントンの大ファンだった。ウォルターかドナルドのどちらかが、“オリジナルから各自1つずつ楽器を選んで、それを別のものに置き換えてみよう”と言った。例えば、ウォルターはトランペットのパートをワウワウギターに置き換えた。それで僕は“トロンボーンのパートを担当しよう”と思った。トロンボーンにはスライドが付いているので、音と音の間を滑らかにスライドできるそれをペダル・スティールで試してみようと考えた。かなりの時間をかけて取り組んだ。トンネルの入り口から出口までをくぐり抜け、あの美しいソロを弾くのは楽しかった。 挑戦したかったし、本当に満足しているよ」
●The Doobie Brothers, Livin’ on the Fault Line (1977)
「『Livin’ on the Fault Line』はドゥービー・ブラザーズの最高傑作だと思う。 探求心に満ちたアルバムだった。 どこまでも広がっている感じ。制作中、僕は“自分はスタジオに住みつくネズミだ。バンド・メンバーに、他のアーティストのリズムセクションとして活動することを提案しようか?スティーヴ・ルカサーがTOTOでやっていたように”と考えていた。みんなは“それはいい考えだ”と言ってくれた。それで、レオ・セイヤー、カーリー・サイモン、ホイト・アクストンなど、他のアーティストのセッションをやるようになった。
この経験から、とても建設的なものを得ることができた。プロデューサーは、どんなバンドに所属しているか、どんなクールな靴を履いているかなど、気にもしない。朝9時にスタジオに現れ、きちんと演奏できなければクビ。それが僕たちがスタジオで守るルールだった。僕は、ドゥービー・ブラザーズのメンバーをこのコンセプトに引き入れることは良いことだと思った。そして、彼らは見事にその期待に応えてくれた。僕たちは素晴らしいリズムセクションを持っていた。僕たちは優れたミュージシャンであるだけでなく、一緒に演奏する機会が多かったため、他のほとんどのミュージシャンにはない素晴らしいダイナミズムをもたらすことができた。この経験があったからこそ、アルバム『Minute by Minute』は大きな成功を収めることができたのです」