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ロック喫茶ムーヴィン元店主/はちみつぱいの元ベーシスト 著書『楽しい音の鳴るほうへ:はちみつぱい・和田博巳の青春放浪記1967-1975』発売

2025/02/17 19:47掲載
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楽しい音の鳴るほうへ:はちみつぱい・和田博巳の青春放浪記1967-1975
楽しい音の鳴るほうへ:はちみつぱい・和田博巳の青春放浪記1967-1975
伝説のロック喫茶「ムーヴィン」元店主にして、「はちみつぱい」の元ベーシスト、和田博巳が音楽とともに自由に転がり続けた青春を語る。半生記『楽しい音の鳴るほうへ:はちみつぱい・和田博巳の青春放浪記1967-1975』がアルテスパブリッシングから3月21日発売予定。
■『楽しい音の鳴るほうへ:はちみつぱい・和田博巳の青春放浪記1967-1975』
和田博巳 著

定価:本体2000円[税別]
四六判・並製 | 200ページ
発売日 : 2025年3月21日予定
ISBN 978-4-86559-306-8 C0073
ジャンル : 日本のロック/自伝
イラスト:伊藤敦志 装丁:折田烈(餠屋デザイン)

<内容>

高円寺のロック喫茶「ムーヴィン」、札幌の「和田珈琲店」「tutti」の店主、
伝説のロック・バンド「はちみつぱい」のベーシスト、音楽プロデューサー、
そして現在はオーディオ評論家として活躍中──

時代のうねりに身を任せ、音楽から離れずに好きなことだけをやり続けて、
日本のポップ・カルチャー史にその名を刻むことになった著者が、
圧倒的に自由で豊かだった青春を軽妙な筆致で語った半生記をリリース!

鈴木慶一さん、岡本仁さん、推薦!

鈴木慶一 ムーンライダーズ
「どうやって我々が出会って、はちみつぱいとなったか、それまでの和田さんはビートニクだったとか。私の記憶と重ねると見事な絞り染めになる。面白すぎ。」

岡本仁 編集者
「和田珈琲店で知遇を得たぼくにとって、それ以前の和田さんの青春記から感じる「自由」の、なんと眩しいことか。」

「ムーヴィンという店名は、その後もせわしなく転がり続けることになる僕の人生そのものにも思える」(本文から)

<CONTENTS>
イントロダクション 中津川の衝撃(1971)
 ビクター・スタジオで鈴木慶一と出会う
 はちみつぱいを見るため、中津川へ
 メンバー3人がみんなリード・ギター!?

第1章 寒村の記憶、音楽の原体験(1948-1967)
 茨城で生まれ、山形、北海道と転居
 然別の大自然、建設技師の父の独立
 プレスリーを聴き、小田実を読む
 エレキギターを手に、ビートルズの曲を練習
 衝撃的だったアニマルズの来日公演
 色覚異常って何だ?
 受験には失敗。でも東京で暮らしたい

第2章 東京での刺激的な日々(1967-1968)
 本当に大学に行きたいのか?
 名画座、中古盤屋、古本屋、ジャズ喫茶を巡る日々
 ジャズはカッコいい!
 あの頃に観た映画のこと
 銀座ヤマハのオーディオ・フロア
 叔父の家を出て、ひとり暮らしを始める

第3章 新宿DIGが教えてくれた(1967-1968)
 ジャズが、ジャズ喫茶が人生を変えていく
 スポンジが水を吸うように
 2度目の大学受験失敗、DIGでのアルバイト
 レコード係になるためには?
 自分でジャズ喫茶を開きたい

第4章 DIGにいた頃の話(1968-1969)
 渡辺貞夫グループのライヴ、オーディオ観の確立
 CATマスターの動きを目で追い、学ぶ
 穴蔵のようなジャズ・バー、吐夢
 最高だったザ・ダイナマイツ、山口冨士夫
 ムゲンでアイク&ティナ・ターナーを観る
 渋谷ブラック・ホークと松平維秋さんのこと

第5章 ムーヴィン開店、自分の店を持つ(1969-1970)
 父から200万円の開店資金を借りる
 ジャズ喫茶ムーヴィン、オープン
 このままだと店は潰れる
 ブラック・ホークをヒントに、ロック喫茶へ転身
 店は大繁盛。時代がロックを求めていた
 賑やかだった1970年
 ムーヴィンの常連客たち①
 ムーヴィンの常連客たち②
 ムーヴィンの隣にオープンしたキーボード

第6章 ムーヴィンのこと、仲間たちのこと(1970-1971)
 「見るまえに跳ぶ」しかなかった70年代初頭
 なぜムーヴィンは繁盛したのか?
 ナンシーとハンバーガー初体験
 前島邦昭の登場。BYG、オープン

第7章 ロック喫茶の店主からミュージシャンへ(1971)
 「ミュージシャンになりたい」と思ってしまった
 「あがた森魚」の名が脳裏に刻まれる
 カシブチ哲郎加入。はちみつぱいは6人編成に
 高円寺を去り、四谷3丁目でミュージシャンに
 あまり普通じゃなかったロック喫茶店主の頃の生活

第8章 ぱいのライヴ活動、四谷から狭山アメリカ村へ(1971-1972)
 はちみつぱいの共同生活?
 狭山・アメリカ村での生活
 『HOSONO HOUSE』の録音を見学
 『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』はどこから来たのか
 和田博巳は誰だ?

第9章 『センチメンタル通り』のレコーディング(1972-1973)
 あがた森魚のバック・バンドとして全国を回る
 ついに、はちみつぱいのメンバーとしてレコーディング
 スタジオは、なんとアルファの「スタジオA」

第10章 そして夢が終わった(1974-1975)

あとがき 音楽に生かされてきた(2025)

<プロフィール>
わだ・ひろみ
1948年、茨城県生まれ、山形県と北海道で育つ。
1965年、北海道立余市高校で初めてロック・バンドを結成する。
1967年に大学受験のため東京へ。新宿のジャズ喫茶「DIG」のレコード係に。
1969年、高円寺でジャズ喫茶「ムーヴィン」を開店。のちにロック喫茶に鞍替え。
1971年に第3回全日本フォークジャンボリーで見たバンド、はちみつぱいの演奏に感銘を受け、ベーシストとして加入。
1973年10月にキング/ベルウッドよりアルバム『センチメンタル通り』をリリース。
1974年6月にワーナーパイオニアからシングル「君と旅行鞄/酔いどれダンス・ミュージック」をリリースするが、バンドは11月に解散。
1976年に北海道へ戻り、札幌で「和田珈琲店」を開店(のちに「バナナボート」として新装開店)。
スパニッシュ・ムーン、クォーテーションズなどのバンドで活動を続ける。
1985年に再び上京。細野晴臣のマネージャーを務め、はっぴいえんど再結成プロジェクトやピチカート・ファイヴのデビューに関わる。
音楽プロデューサーとしても、あがた森魚、ザ・コレクターズ、オリジナル・ラヴ、高田渡、ヒックスヴィル、マンナなどを担当。
1998年に再び北海道へ戻り、札幌でバー「Tutti」を開店するとともに、オーディオ誌への執筆を本格化。
2003年の3度目の上京以降は、オーディオ評論家としての活動に軸足を置いている。
1988年に、断続的に活動を続けていたはちみつぱいの、汐留PITでの再結成コンサートに参加したほか、数々の再発プロジェクトの監修を担当。
2016年にはフジロックフェスティバル2016への出演を果たす。
2017年にはあがた森魚&はちみつぱい名義のアルバム『べいびぃろん』もリリース。
2018年にBYGにて開催された「和田博巳 “古希” 70th Birthday Party」には、はちみつぱい、センチメンタル・シティ・ロマンス、葡萄畑、麻田浩らが出演。自身のヴォーカルでジーン・ピットニー「Louisiana Mama」を披露した。
著書に『ニアフィールド・リスニングの快楽』(ステレオサウンド、2012)、『オーディオ大事典(成美堂出版、2010)がある。