HOME > ニュース >

スライ・ストーンをクエストラヴ語る 「Dance to the Music」を皮肉を込めて書いたこと/音楽の先駆者としてのスライ/黒人の天才の重荷など

2025/02/14 16:37掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Sly Stone
Sly Stone
スライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly and The Family Stone)スライ・ストーン(Sly Stone)とはどんな人物なのか? 新しいドキュメンタリー映画『SLY LIVES! (aka The Burden of Black Genius)』を監督したクエストラヴ(Questlove)が米ラジオ局NPRの新しいインタビューの中で語っています。

「Everyday People」「Dance to the Music」「Family Affair」などのヒット曲は、音楽や文化に大きな影響を与えました。

クエストラヴは「スライは、今後60年、ほとんどのポップやR&B、ブラックミュージックが基づいて書くことになるアルファベットを発明した。僕たちは今でも彼の辞書を使って作曲している」と話しています。

しかし、成功はスライに大きな代償を強いました。彼は名声と薬物に苦しみました。

「ほとんどの黒人アーティストと同じように、選ばれた者であることの罪悪感、勝者であることの罪悪感が彼に押し寄せてきた。スライは良いことを自ら台無しにしてしまう人々の長いリストの最初のドミノのような存在になるだろう。この映画では、なぜ僕たちは自らを台無しにしてしまうのか、その理由を探っているんだ」

クエストラヴは、スライが10年近くクリーンな状態を保ち、順調に過ごしていることをファンに知ってほしいという願いから『SLY LIVES!』と名付けたという。

「彼は孫と遊ぶような、ごく普通の日常を送っている。普通であること、人間であること、恐ろしい黒人ではないこと、過度に性的な人でないこと、ただ普通の、共感できる日常の人であること。僕にとっては、それは夢だよ」

■スライが1967年のヒット曲「Dance to the Music」を皮肉を込めて書いたことについて

「知られていないのは、スライは基本的に“Dance to the Music”を、売れるために自分の好きな音楽じゃないことをやった曲だと思っていたということ。スライは『A Whole New Thing』という本当に知的なデビューアルバムをリリースした。僕はたぶん、これが彼のアルバムの中で一番好きだ。でも、それはあまりにも多弁で、あまりにも賢すぎで、あまりにもマニアックで、時代を先取りしすぎていたため、一部の人々しかその魅力に気づかなかった。このアルバムの拒絶反応に、スライは落ち込み、彼のレーベルは“君はやり過ぎだ。もっとシンプルにすべきだ。人は君ほど賢いはない。例えば、君がこの部屋で一番賢い人間になるのではなく、その部屋で親しみやすい人間になるんだ。みんなはただ音楽に合わせて踊りたいだけなんだよ”と言った。

彼は、かなり辛辣で嘲笑的な口調でこう言った。“わかったよ、みんなが音楽に合わせて踊りたいなら、それでいい”。 そして、彼は非常に皮肉なことをした。しかし、スライが気づいていないのは、彼の非常に皮肉で辛辣な中指を立てるようなやり方で、彼はみんなを巻き込み、みんながそれに飛びついたということをね。“Dance to the Music”は、彼が流行らせるつもりなどなかったのに、偶然No.1ヒットとなった曲なんだ」

■1969年の曲「Stand!」の終わりにブレイクビーツがあるが

「あれは、スライが黒人コミュニティに敬意を表したものだと思う。その時点でスライはポップヒットを飛ばしていたけど、黒人層からの支持はあまり得られていなかったんだ。彼が最初に登場したとき、白人オーディエンスがすぐに彼に惹かれた。言葉には出さないまでも、黒人の天才が背負う重荷のひとつが、白人のお気に入りの黒人であることの重荷なんだ。それは、恥の印のようなもので“まず同胞から認められなければ、世界から愛されることはない”といった感じなんだ。

だから、僕は、彼がその曲に、黒人たちが“よし、彼はまだ俺たちと一緒だ”と納得するような部分を加えたかったのではないかとほぼ確信している。彼は、その曲の最後に、本当にファンキーな部分を加えて、自分の才能を確固たるものにしたんだ」

■音楽の先駆者としてのスライについて

「スライはドラムマシンを初めて使った人。スライは何でも自分でこなすベッドルームミュージックのパイオニアだ。マシンにエネルギーを与え続け、ヒット曲を生み出し続けなければならないというプレッシャーがある。自分が何者なのか、そして本当の自分は何者なのかという考えもある。世代が移り変わっていく中で、スライはそれを成し遂げることができなくなった。そして彼がバトンを落とすと、舞台袖ではそのバトンを受け取るのを待っていた人物が現れた。その時、その人物は12歳で、その人物の名前はマイケル・ジョセフ・ジャクソン。そう、マイケル・ジャクソンは、本来スライに起こるべきだったことのバトンを受け取ったんだ。

それから10年後の1982年、マイケル自身も同じように選ばれた者となり、神となり、統一者になり、注目の的となるという同じプロセスをたどった。そして、突然、完璧さを追い求めるハムスターの車輪のような状態に陥いる。これは誰にでも起こる。プリンスやホイットニー・ヒューストンもそう。自分自身に課すプレッシャーが、そのレベルに達してしまう。エンターテイメントには人間味が入り込む余地がない、特にブラック・エンターテイメントにはね。だから、今こそその話をすべき時だと思っている。特に黒人の人々と。今、セラピーやメンタルヘルスに関する議論のようなものを受け入れることができる状況にあるからね」

■公民権運動への対応を迫られたスライのプレッシャーについて

「彼の音楽のメッセージは常に勇気づけるものであり、正義とポジティブさの応援団だった。残念ながら、音楽が楽観的なメッセージを発していたにもかかわらず、内面では彼は疲れ果てていた。彼には、プレッシャー、重荷があった。僕たちがそれを“黒人の天才の重荷”と呼ぶ理由は、社会がなぜそのような状態にあるのか、その解決策や答えを見つけなければならない立場に置かれると、重荷となるからなんだ」

■スライの音楽が「よりブラック」になり、ファンクの領域に踏み込んでいくことについて

「結局何が起こるかというと、スライは自分の“ブラックさ”を証明しなければならないというプレッシャーを受けるたびに、成功すればするほど、彼の唯一の答えは“ブラック”な音楽を作るという答えにたどり着くんだ。その頂点となるのが、5枚目のアルバム『There's a Riot Goin' On』。このアルバムについて、あらゆる評論家が“なんてことだ、これは史上最高のファンクアルバムだ”と口を揃えて言う。そう、これは史上初のファンクアルバムだけど、僕から言えば、おそらくクリエイターの人生で最も痛ましい、記録に残った41分間だった。まるで、明らかに自分の意志とは関係なく旅に参加させられている人のようだ。助けを求める叫び声が聞こえるのに、音楽があまりにも素晴らしく、衝撃的過ぎるため、僕たちは結局、彼の芸術を崇拝するようになり、その痛みに気づかないんだ。

これは間違いなくスライ・ストーンだけの話ではない。これは僕が今まで一緒に仕事をしてきた人の話だ。フランク・オーシャンやローリン・ヒルやデイブ・チャペル、カニエ・ウェストの話でもある。トラブルに巻き込まれたことのある人なら誰でも。“なぜ彼らはそんなことをするのか?”と尋ねたことのある人なら誰でも。誰もが経験することだ」