
Gene Barge Credit: Scott Stewart/Sun-Times Media
ナタリー・コールのヒット曲を手がけ、マディ・ウォーターズのレコーディングを監督し、ローリング・ストーンズとも共演。尊敬を集める堅実なサックス奏者で、作曲家、プロデューサーでもあった
ジーン・バージ(Gene Barge)が死去。彼は“ダディ・G”名義でも知られていた。AP通信は娘のジーナ・バージにジーンが亡くなったことを確認。娘によると、ジーンは2月2日にシカゴの自宅で亡くなりました。98歳でした。
ジーン・バージは1926年8月バージニア州ノーフォーク生まれ。1940年代には大学のジャズバンドに所属し、駆け出しの頃のリトル・リチャードやジェームス・ブラウンをバックで支えた。
1950年代には、バージは地元のジャズやリズム・アンド・ブルースのグループとセッションを重ねた。リズム・アンド・ブルース歌手のチャック・ウィリスのツアーバンドに誘われ、ニューヨークのアトランティック・レコードのレコーディングセッションに同行した。ウィリスは1957年にR&Bチャートで1位を獲得した曲「C.C. Rider」をレコーディング中だった。スタジオのサックス奏者がうまくいかなかったため、バージが代わりを務め、長く甘いソロを演奏した。
数年後、バージはノーフォークに戻り、チャーチ・ストリート・ファイヴを結成した。チャーチ・ストリートのミュージシャンたちはインストゥルメンタル曲「A Night With Daddy G」を録音し、これがゲイリー・U.S.・ボンズの「Quarter to Three」の基盤となり、バージのプロとしてのニックネーム“ダディ・G”の由来となった。
1961年に全米1位を獲得した「Quarter to Three」は、ロックのスタンダード曲となり、ブルース・スプリングスティーンのコンサートでも取り上げられるようになった。
1960年代にはチェス・レコードで働き、レコーディング・セッションで演奏し、プロデュース作業に加えてアレンジも提供した。
1970年代には、ナタリー・コールのアルバム『Natalie』や『Unpredictable』などのプロデュースやアレンジを手伝った。
その後、ウォーターズ、バディ・ガイ、ウィリー・ディクソンといったブルース界の偉人たちとレコーディングし、ナタリー・コールのグラミー賞受賞シングル「Sophisticated Lady」を共同プロデュースした。
1980年代初頭にはローリング・ストーンズとツアーし、パブリック・エナミーのアルバム『New Whirl Odor』でも演奏し、「伝説のミスター・ジーン・バージ」としてクレジットされた。
また1970年代以降は、スリラーや犯罪映画で個性派俳優として活躍し、ハリソン・フォード主演映画『逃亡者』などに出演した。 また、マーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『The Blues』ではコンサルタントを務めた。