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マリアンヌ・フェイスフル死去

2025/01/31 08:48掲載(Last Update:2025/01/31 09:22)
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Marianne Faithful
Marianne Faithful
マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)が死去。彼女の広報担当者が発表。78歳でした。

以下、声明より(BBC経由)

「歌手、ソングライター、女優として活躍したマリアンヌ・フェイスフルの訃報を、深い悲しみとともに発表いたします。マリアンヌは本日、愛する家族に見守られながら、ロンドンで安らかに息を引き取りました。彼女の死は、とても惜しまれるでしょう」

フェイスフルはこれまで、数十年にわたる喫煙による過食症、乳がん、肺気腫など、さまざまな健康問題に悩まされてきました。2020年には、新型コロナウイルスで重病となり、一命を取り留めましたが、彼女の肺は二度と歌えないかもしれないところまで悪化、その影響に長年苦しんでいました。



マリアンヌ・フェイスフルは1946年にロンドンのハムステッドで生まれる。両親は彼女が6歳の時に離婚し、彼女は幼少期のほとんどを母親と暮らした。

フェイスフルは1964年に歌手としてのキャリアをスタートさせ、地元のコーヒーハウスでフォークミュージックのライヴを行い、盛り上がりを見せていた音楽シーンに参加した。同年、彼女はローリング・ストーンズのパーティーに出席し、そこでバンドの当時のマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムと知り合う。オールダムは、フェイスフルにスタジオで歌ってみるチャンスを与え、フェイスフルは16歳の時に初めてのレコーディングとなった「As Tears Go By(邦題:涙あふれて)」(ミック・ジャガー&キース・リチャーズ作)をリリース。たちまちヒットとなり、英国のシングルチャートで9位にランクインした。その後、ポップ・アイドルとしての地位を確立し、セルフタイトル・デビュー・アルバムや1966年の『North Country Maid』などで、ブリティッシュ・インヴェイジョンの一員となった。

1965年に英国人アーティストのジョン・ダンバーと結婚したフェイスフルは、息子を出産したが、その後すぐにミック・ジャガーと同居し、その後、交際が始まった。フェイスフルの薬物常用は、この頃から始まった。フェイスフルとジャガーの関係は、ストーンズの音楽活動に影響を与えたとも言われている。ジャガーは薬物常用をやめさせようとしたがうまくいかず、結局ふたりは1970年に破局。フェイスフルは破局後に薬物中毒や拒食症に苦しみ、1970年代初頭にはロンドンの路上でホームレスとして2年間過ごした。デビューから数年間はエンジェル・ヴォイスと言われていたが、その後のドラッグ、自殺未遂、アルコール、タバコなどで声を潰し、特徴的なハスキーの声となった。

1979年の『Broken English』で歌手として第一線に復活。このアルバムは英国で57位、米国のビルボード200チャートでは82位にランクインし、1965年以来の全米チャート入りを果たした。また、このアルバムはグラミー賞の最優秀女性ロックボーカルパフォーマンス部門にノミネートされ、現在では彼女の画期的なレコーディングの1つとみなされている。

その後も、キャリアの残りの期間、数年に1枚のペースでアルバムをコンスタントにリリースし続けた。彼女の最後のアルバム『She Walks in Beauty』は、バッド・シーズのウォーレン・エリスによるインストゥルメンタルに詩の朗読を乗せたもので、2021年にリリースされた。