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ザ・バンドのガース・ハドソン死去

2025/01/22 00:33掲載(Last Update:2025/01/22 08:59)
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Garth Hudson - Alberto E. Rodriguez, Getty Images
Garth Hudson - Alberto E. Rodriguez, Getty Images
ザ・バンド(The Band)の創設メンバーで、最後の存命メンバーだった、マルチ・インストゥルメンタリストのガース・ハドソン(Garth Hudson)が死去。87歳でした。

カナダの新聞トロント・スター紙は、ハドソンが現地時間の1月21日の朝にニューヨーク州ウッドストックにある介護施設で安らかに眠るように息を引き取ったことを、ハドソンの遺産管理人に確認しています。

訃報を受けて、ザ・バンドとロビー・ロバートソンのSNSアカウントは追悼コメントを発表しています。

ザ・バンドのSNSアカウント:
「本日、私たちは、ザ・バンドのオリジナル・メンバーで存命中の最後の一人であったガース・“ハニーボーイ”・ハドソンに悲しい別れを告げます。音楽の天才であり、グループの時代を超えたサウンドの要であったガースはかつて“人々が自分の感情の奥底にあるものに気づく手助けをすることで、真の喜びを見出していた”と語りました。彼の音楽を通して、彼はまさにそれを成し遂げたのです。私たち皆がより深く感じ、より大きなものに繋がる手助けをしたのです。安らかに眠ってください、ガース」

ロビー・ロバートソンのSNSアカウント:
「“彼はトロント交響楽団やマイルス・デイヴィスと演奏することもできたはずだが、僕たちと一緒にいてくれた。彼がいてくれて僕たちは幸運だった”―ロビー・ロバートソン。

今日、私たちはガース・“ハニー・ボーイ”・ハドソンに別れを告げます。ザ・バンドのサウンド形成に貢献した真の天才であり、彼の才能は私たち皆への贈り物でした。安らかに眠ってください、ガース」





ハドソンは、ギタリストのロビー・ロバートソン、ベーシストのリック・ダンコ、ドラマーのリヴォン・ヘルム、マルチ・インストゥルメンタリストのリチャード・マニュエルとともに、ザ・バンドのメンバーとしてキーボード、シンセサイザー、アコーディオン、サックスなどを担当しました。

ハドソンは、カナダのオンタリオ州ウィンザーで生まれ、同州のロンドンで育った。本名はエリック・ガース・ハドソン。1950年代後半から音楽キャリアをはじめ、1961年頃、ロニー・ホーキンスにスカウトされて、ザ・バンドの前身であるホークスに参加した。その後、ホーキンスと別れたホークスはリヴォン・ヘルムらと共にリヴォン&ザ・ホークスとしてツアーを行った。

ハドソンは1965年、バンドメイトのロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエルと共に、フォークからロックへと転身するボブ・ディランのバックバンドに参加した。その後、リヴォン・ヘルムが復帰し、グループは独立した。

1968年、ホークスはバンド名をザ・バンドに改める。彼らは『Music from Big Pink』(1968年)や『The Band』(1969年)といった影響力のあるアルバムで独自のアイデンティティを確立していった。その後も数年にわたってレコーディングとライヴ活動を続けたザ・バンドは、1976年11月にサンフランシスコで行った伝説的なオールスターによるラスト・コンサートで頂点に達し、このコンサートはマーティン・スコセッシによって撮影され、コンサート映画『ラスト・ワルツ(The Last Waltz)』として公開され、サウンドトラックも発表された。

その後、ハドソンはセッション・ミュージシャンとして活動した。これまでにマディ・ウォーターズ、エミルー・ハリス、ヴァン・モリソン、レナード・コーエン、ドノヴァン、ロジャー・ウォーターズ、ロス・ロボス、ウィルコ、ノラ・ジョーンズ、ジプシー・キングスなどと共演した。

1983年、ロバートソン抜きでザ・バンドは再結成され、1993年の『Jericho』を皮切りに3枚のアルバムをレコーディングし、定期的にツアーを行った。

ハドソンのソロデビューアルバム『The Sea to the North』は2001年にリリースされた。2005年にはライヴ・アルバム『Live at the Wolf』をリリースした。またハドソンは、音楽指導のマスタークラスを教える優秀な講師でもあった。

ザ・バンドは1994年にロックの殿堂入りを果たした。マニュエルは1986年に、ダンコは1999年に、ヘルムは2012年に、ロバートソンは2023年に亡くなっている。