オズモンド・ブラザーズ/オズモンズ(The Osmond Brothers / The Osmonds)の
ウェイン・オズモンド(Wayne Osmond)が死去。家族の発表によると、ウェインは1月1日にソルトレイクシティで亡くなりました。死因は明かされていませんが、ウェインの兄弟の一人であるメリル・オズモンドによると、ウェインは大きな脳卒中を起こしてソルトレイクの病院に搬送されていました。73歳でした。
以下、家族の声明より
「最愛の夫であり父親であるウェイン・オズモンドは、昨夜、愛する妻と5人の子供たちに見守られながら安らかに息を引き取りました。彼の信仰、音楽、愛、そして笑い声のレガシーは、世界中の多くの人々の人生に影響を与えてきました。彼は、イエス・キリストの福音が真実であり、家族は永遠であり、バナナスプリットが最高のデザートであることを皆に知ってほしいと願っているでしょう。私たちは彼を愛しており、彼の死をとても寂しく思います」
オズモンド家の9人兄弟の1人であるウェインは、1958年に兄弟のアラン、メリル、ジェイとともに、コーラスグループ「オズモンド・ブラザーズ」を結成する。3年後、ディズニーランドでのパフォーマンス中にスカウトされ、バラエティ番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』にレギュラー出演するようになる。その後もテレビ出演を続けた彼らは、1970年代に最大の成功を収めた。
1969年4月には初来日し、テレビ番組などに出演する。また、両親らと共に、1970年頃からカルピスのCMに出演し、日本語のCMソング「カルピスのうた」も担当した。
グループ名を「オズモンズ」と改名した彼らは、1970年代の大半にティーンエイジャーのアイドルとなる。クリーンで清潔感のあるバブルガム・ポップは多くのファンを魅了し、「One Bad Apple」、「Yo-Yo」、「Down by the Lazy River」、「Crazy Horses」などのヒット曲を生み出した。
1972年にはテレビアニメ『The Osmonds』が放送された。
オズモンド・ブラザーズは、そのキャリアの中で世界中で7700万枚のレコードを売り上げた。
ウェインは晩年、いくつかの深刻な健康問題と闘っていた。1997年には脳腫瘍と診断され、幸いにも治療に成功したが、その結果、ほとんど耳が聞こえなくなった。2007年にオズモンズを引退し、2012年の脳卒中により、ギターを弾くこともできなくなった。2018年、家族とともに公の場に姿を見せたのが最後となった。