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“ロックンロール・プレジデント”ジミー・カーター元アメリカ大統領が死去

2024/12/30 12:00掲載(Last Update:2024/12/30 12:02)
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Jimmy Carter: Rock & Roll President
Jimmy Carter: Rock & Roll President
「アメリカを団結させるものの一つが、僕らが共有し愛する音楽だ」とも語った大の音楽好きで、“ロックンロール・プレジデント”とも称されたジミー・カーター元アメリカ大統領が死去。近年は入退院を繰り返し2023年2月からはホスピスケアを受けながら自宅で療養生活を送っていましたが、カーター・センターの発表によると、12月29日午後、自宅で家族に見守られながら亡くなりました。100歳でした。

ジミー・カーターは大統領在任中、エジプトとイスラエルの和平合意「キャンプデービッド合意」を仲介したほか中国との国交正常化を実現させた。大統領退任後の1984年には大統領経験者としては初めて被爆地・広島を訪問。2002年には、国際紛争解決への尽力などでノーベル平和賞を受賞。大統領退任後も数十年間にわたり内政や外交で活発に活動を続けてきたことから「史上最強の元大統領」とも評された。

ジミー・カーターはロックンロールを好んだことでも有名だったが、これは当時としては特にリスクの高い行動だった。それは彼がジョージア州知事だった時に始まった。カーターは息子たちを通してボブ・ディラン(Bob Dylan)の曲を知り、1974年にディランとザ・バンド(The Band)を州知事公邸に招待した。ザ・バンドはカーターに敬意を表して「Georgia on My Mind」をカヴァーした。カーターは1976年の民主党全国大会で指名受諾演説を行った際、ディランの「It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)」の一節を引用し、アメリカを「生き急ぐのではなく、死に急いでいる」と表現した。

オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)マーシャル・タッカー・バンド(Marshall Tucker Band)は、カーターの最初の大統領選出馬時にチャリティーコンサートを行った。カーターは、連邦政府の資金と共に、集められた資金が、多額の負債を抱えていた選挙運動を存続させるために不可欠であったと感謝した。ギタリストのディッキー・ベッツ(Dickey Betts)は後に、熱心な人種差別撤廃論者であったカーターが「ジョージアに対する態度を完全に変えた」と語った。2016年、カーターはグレッグ・オールマン(Gregg Allman)の葬儀に出席した。

彼の就任式では、クロスビー、スティルス&ナッシュ(Crosby, Stills, & Nash)の再結成や、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)ポール・サイモン(Paul Simon)のパフォーマンスが行われた。CSNはホワイトハウスを訪問し、1978年には息子チップの28歳の誕生日にアトランタ・リズム・セクションがホワイトハウスの芝生で演奏した。

カーターとロックの関係は、メアリー・ウォートン監督のドキュメンタリー『ロックンロール・プレジデント:ジミー・カーター 大統領のロック交遊録(原題:Jimmy Carter: Rock & Roll President)』でも紹介されている。カーターの音楽への情熱と、ボブ・ディラン、U2のボノ、ウィリー・ネルソンら著名ミュージシャンたちとの交友関係にスポットを当てたドキュメンタリー。