Phil Collins: Drummer First - Drumeo
フィル・コリンズ(Phil Collins) の新しいドキュメンタリー『Phil Collins: Drummer First』が公開され、その中で、
ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel) が突然
ジェネシス(Genesis) を脱退したため、リード・ヴォーカルも担当することになった当時を振り返っています。
「アメリカ・ツアーの半分を終えたところで、(ガブリエルが)マネージャーにそう告げた。トニー・バンクスがそれを嗅ぎつけたんだと思う。その時から、ピートがいつ脱退してもおかしくないことはわかっていたが、僕たちには150公演のツアーをこなさなければならなかったんだ。
ピーターが去ったとき、僕は“よし、インストゥルメンタルでやろう”と言ったんだよ。みんなは僕を嘲笑し、黙って自分の箱に戻れと言われた。彼らの言うとおりだったんだ。
僕はヴォーカリストになるつもりはなかった。誰もその役をやりたがらなかったんだ。シンガー探しには長い時間がかかったが、ほとんど何も得られなかった。オーディションに来た人たちのために、いつも僕が歌っていたら、だんだん彼らよりも上手に歌えるようになってきたんだよ」
息子の
ニック・コリンズ(Nic Collins) は「最初のライヴから、ファンは父を気に入っていた。彼はすでにバンドの一員だったから、新メンバーが加入して観客の支持を獲得しなければならないという状況ではなかった」と話し、フィルは「そうだね、僕の言い訳として、バック・ヴォーカルであれ、時折のリード・ヴォーカルであれ、常にバックグラウンドで僕の声があったからだと思う」と付け加えています。
フィルは続けてこう話しています。
「僕がシンガーとして初めて行ったライヴは(カナダ)オンタリオ州のロンドンで、僕はマイクスタンドを手放さずに続けた。それが僕の(歌う時の)ドラムセットになった。なんだかちょっと不思議な感じだった。僕はいつもドラムの後ろにいることが恋しかった。僕は歌よりもドラムの方がが得意だと思っていたので、ドラムを叩けなくて寂しかったよ」
フィルはすぐに、リードヴォーカルを前面に押し出した自身の曲を書き、デモ録音するようになりましたが、それでもまだ自信を深めるために、もうひと押しが必要だったという。
「アーメット・アーティガン(アトランティック・レコードの共同創設者兼社長)と僕はいつもとても気が合っていた。ロンドンにある彼の家に行って、2人で飲みながら話をした時、僕は“もしよかったら、これを聴いてほしい”とカセットテープを差し出した。彼は“聴きたい”と言ったので、僕がデモテープを再生すると、彼は“君がこれをどうしようと、僕は関わりたい”と言ってくれた。僕はそれで自信を得ることができ、意気揚々と家路についたんだ」
またフィルはドキュメンタリーの中で、「ジェネシスの大ファンではない」とも話しています。
「僕はジェネシスの大ファンではない。好きな曲もあるし、誇りに思う曲もある。でも、そうでもない曲もある。時には、人々がレンガを投げてくるように感じられるものもある」
フィルはジェネシスの曲の中で最も嫌いなのは1978年のアルバム『... And Then There Were Three ...』に収録された「Down and Out」だとも認めています。これはギタリストのスティーヴ・ハケットが脱退した後の音楽的方向性の変化を象徴する曲でした。アルバムのオープニング曲である「Down and Out」は、フィル・コリンズ、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスが完全にコラボレーションして書いた3曲のうちの1曲で、複雑なリズム・フレーズのため、完成させるのが難しい曲だったという。
「“Down and Out”はね……長い間聴いていない。時代を象徴する曲だ」
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