インペリテリ(Impellitteri)を率いる、速弾きギタリストの代表格のひとり、
クリス・インペリテリ(Chris Impellitteri)は米Guitar Worldの新しいインタビューの中で、
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドのオーディションを受けた時のことを振り返っています。
インペリテリによると、1980年代の話で、打診された具体的な年は覚えていませんが、それはジェイク・E・リーが脱退し、ザック・ワイルドが後任として最終的に起用される直前のようです。
「もう何年も前のことなので、大げさに言うつもりはないよ。ジェイクがまだバンドにいたかどうかは分からない。僕が当時住んでいたアパートにはルームメイトがいた。ある夜、リハーサルから帰宅すると、ルームメイトが“このメッセージを聞いて”と言ったので、聞いてみると“シャロン・オズボーンです。私とオジーはあなたのことをチェックしていて、あなたのギタープレイをとても気に入っています。ぜひオーディションに来てください”という内容だった」
ひとつ問題がありました。インペリテリはちょうどRelativity Recordsと契約を交わしたばかりで、その契約を破棄してオジーのバンドに参加することはほぼ不可能でした。それでも、彼はオーディションに行きました。
「シャロンと話したし、おそらくオジーとも3~5回は話したと思う。何度かやり取りがあった。問題は、すでにRelativityと契約を交わしていたことだった」
インペリテリによると、正式にオファーを受けたことはなかったという。
「当時、僕にはピーター・パテルノという弁護士がいたんだけど、彼は苛立って“クリス、なぜその仕事を受けなかったんだ?”と言っていた。僕は“まず第一に、厳密には正式にオファーされたものではない。彼らは基本的に、一緒に演奏するために来てくれないか、と尋ねただけだ”と答えたよ」
オジーとその仲間たちはインペリテリに「非常に興味を持っていた」とのことで、インペリテリはバンドと一緒に数曲演奏するためにスタジオに向かいました。しかし、契約は契約であり、インペリテリはRelativity Recordsとの契約を尊重し、自身のプロジェクトを進めることを選びました。
インペリテリは、もしオジーと一緒になっていたなら、オジーのバンドの方向性は全く違ったものになっていたかもしれないと考えています。
「(インペリテリの)新作『War Machine』を聴いてくれたら、僕たちがやっていることの多くにランディ・ローズの要素が含まれていることが分かるはずだ。
オジーとすべてがうまくいって、僕が加入したとしよう。僕は彼が行った方向性のアルバムを作りたいとは思わなかったと思う。もちろん、ザックとの曲は素晴らしいもので、ザックは素晴らしいギタリストだよ。僕は彼が大好きだ。
僕は『Blizzard of Ozz』や『Diary of a Madman』のような作品をもっと作りたかったと思う。その時点での彼のキャリアにおいて、ザックとそれらの楽曲はオジーを高めた。だから、もし僕のような生意気なガキがいて、“いや、いや、いや、もう1つのDiary of a Madmanをやるんだ”なんて言ったらどうなっていたか想像してみてよ(笑)。
それはオジーにとってプラスのことだったのか?マイナスのことだったのか? 状況が変化する中で、その変化は計画的に行われたのであり、すでに大きな存在であったオジーはさらに大きなものになったんだ」