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ピート・タウンゼント、元ウイングスのジミー・マカロックの早すぎる死ついて「もし俺が彼の人生に関わっていなければ、彼は今日も生きていたかもしれない」

2024/12/16 21:25掲載(Last Update:2024/12/16 22:05)
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Jimmy McCulloch
Jimmy McCulloch
ザ・フー(The Who)ピート・タウンゼント(Pete Townshend)は、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)ウイングス(Wings)でも活躍したギタリストのジミー・マカロック(Jimmy McCulloch)が26歳という若さで亡くなったことについて「もし俺が彼の人生に関わっていなければ、彼は今日も生きていたかもしれない」と自責の念に駆られているという。タウンゼントは、Varietyの最近のインタビューの中で、マカロックが若くして名声を浴びたことが、その後の薬物やアルコールへの依存、そして早すぎる死につながった可能性について語っています。

ジミー・マカロックは、1969年に、タウンゼントの友人で作曲家のジョン・“スピーディ”・キーン(ボーカル、ドラム)、アンディ・“サンダークラップ”・ニューマン(ピアノ)と共にサンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)を結成。同年7月に、タウンゼントのプロデュースによるシングル「Something in the Air」で全英シングルチャートで1位を獲得。当時15歳だったマカロックは「全英1位を獲得した曲で演奏した最年少のギタリスト」になり、若くして名声を浴びました。

その後、ポール・マッカートニーのウイングスに加入し、1974年から1977年まで在籍しました。そして、1979年9月にヘロインの過剰摂取による心臓発作で亡くなりました。26歳でした。

タウンゼントはサンダークラップ・ニューマンについて振り返る中で、マカロックについてこう話しています。

「もし俺がジミー・マカロックの人生に関わっていなければ、彼は今日も生きていたかもしれない。ポール・マッカートニー&ウイングスと仕事をしたことが、彼の死を招いたと思う。

スターには向いてなかった。俺が初めてジミーに会ったときは、彼は14歳、あるいはそれよりもっと若かったかもしれない。彼は兄のジャックと一緒にバンドを組んでいて、ジャックは彼の保護者だった。彼はとても若かったので、彼がアルコール依存症になる可能性があるとは気付かなかったんだ。当時、ポールとリンダ(マッカートニー)は彼を助けようと、とても一生懸命努力したが、彼を助けることはできなかった。スピーディも同じ話だ。

(サンダークラップ・ニューマンの)この3人の誰もがスターになる運命ではなかったのに、彼らは『Top of the Pops』に1位の曲を持って出た。(ザ・フーの)“Pinball Wizard”は(全英チャートで)4位だった(笑)。スタジオでミックスを終えたとき、エンジニアが机を叩いて“1位になる曲だ!”と叫んだのを覚えている。誰もがそれを知っていた」