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ヒプノシス語る、クイーンには不採用/お気に入りのジャケ/『Animals』で風船のブタが逃走したのは宣伝?/ロジャー・ディーンはライバル?/パンクが終焉の始まり?

2024/12/04 18:51掲載
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ヒプノシス レコードジャケットの美学 (C) BMG Rights Management (UK) Ltd and Hipgnosis Songs Fund Ltd 2022. All rights reserved.
ヒプノシス レコードジャケットの美学 (C) BMG Rights Management (UK) Ltd and Hipgnosis Songs Fund Ltd 2022. All rights reserved.
ピンク・フロイド(Pink Floyd)などのアルバム・デザインを手掛け、レコードジャケットの概念を覆した、英国のデザイン集団ヒプノシス(Hipgnosis)。メンバーのオーブリー・パウエル(Aubrey 'Po' Powell)は2023年に英Prog誌のインタビューに応じ、ヒプノシス秘話を語っていました。同誌はこのインタビューをサイトでも公開しています。

フレディが気に入らずにクイーン『Greatest Hits』には採用されなかったこと、お気に入りのアルバム・ジャケットは? 気に入らないジャケットは?、フロイド『Animals』撮影中に風船のブタが逃げ出したのは宣伝のためか?、なぜ『The Wall』をデザインしなかったのか?、ロジャー・ディーンをライバル視していたか?、パンクがヒプノシスにとって終焉の始まりだったのか?など。

Q:ヒプノシスは数多くのアーティストと仕事をしましたが、もし誰でも好きなアーティストのアルバム・ジャケットをデザインできるとしたら、それは誰ですか?

「ボブ・ディランだね。でも、依頼は来なかった。ボブには素晴らしいサービスを提供できただろうね。クイーンの素晴らしいジャケットもデザインできただろう。実際、僕たちは試みたことがある。彼らの『Greatest Hits』をね。でもフレディ・マーキュリーはそれを気に入らなかった。すべてを勝ち取ることはできないんだよ」

Q:お気に入りのアルバム・ジャケットはありますか?

「ザ・ナイスの『Elegy』は、今でもお気に入りの1つだよ。海外でジャケットの撮影をしたのは、それが初めてだった。カリスマ・レコードの社長であるトニー・ストラットン=スミスが費用を負担してくれて、モロッコに行ってサハラ砂漠でサッカーボールをたくさん撮影した。このジャケットのおかげで、ストーム(トーガソン)と僕は、バンド名やアルバム名とはまったく関係のないランドアート作品を作ることができると気づいた。キース・エマーソンもこれを気に入ってくれた。ヒプノシスのポリシーは常に“斜めに考える”ことだった。バンドの写真を撮るだけよりもずっと刺激的だった」

Q:初期のジャケットで気に入らないものはありますか?

「もちろんあるよ。ルネッサンスでは、ひどいジャケットもいくつか作った。わざとやったわけではない。バンドが資金不足で、安く済ませなければならないこともあった。でも、ひどいジャケットから学んだこともある」

Q:フロイドの『Atom Heart Mother』のジャケットに描かれた牛は、お金がかからず、今日でも話題になっています。

「そうだね、あれは日常的なものを芸術作品に変えたフランスの画家マルセル・デュシャンにインスパイアされたものなんだ。 牛ほど日常的なものがあるかい? でも、当時はやり過ぎではないかと思っていた。僕はストームほど現実的ではなく、あまり視野が広くなかったんだ。もちろん、僕は間違っていた」

Q:フロイドの『Animals』のジャケットのためにバタシー発電所で撮影が行われた時、風船のブタが逃げ出したのは、宣伝のためのパフォーマンスだったと推測する人も多いです。 そうだったのでしょうか?

「彼らはそうした。これ以上の宣伝はない。でも故意にやったわけではない。航空事故を引き起こしかねなかったので、恐ろしかったよ。ブタが逃げ出したとき、僕はバタシー橋にいた。バンドのメンバーが見ている発電所まで車を走らせて行くと、ロジャー・ウォーターズの顔に少年のような喜びが浮かんでいた。彼らは皆、レンジローバーに飛び乗って逃げ出したがっていた。“ポー、お前がなんとかしろ”と言われたよ」

Q:なぜヒプノシスは『The Wall』をデザインしなかったのでしょうか?

「僕たちは1978年に『Walk Away Rene』というアートワークの本を出版したんだけど、ストームは『Animals』のジャケットのブタはロジャーのアイデアだったとは言及しなかった。ロジャーはそれにとても腹を立てていた。ストームとロジャーはもともと仲が良くなかった。バンドはストームが以前に提案したアイデアを却下しており、その中には、小さな男の子が両親の寝室のドアを開けて、彼らがセックスしているのを見つけるという絵もあった。ロジャーはそれを不適切だと考えたんだ。『Walk Away Rene』の後、ロジャーはジェラルド・スカーフと『The Wall』に取り組んだ。ストームが彼を許したかどうかはわからない」

Q:この頃、ヒプノシスがロジャー・ディーンに代わってイエスの『Going For The One』のデザインを手がけました。あなたはロジャーをライバル視していましたか?

「いいえ、まったく。ロジャーは画家で、彼がイエスのために手がけたジャケットは、とても絵画的なものだった。それは彼の専門分野だった。皮肉なことに、イエスがロジャーを解雇した際、ジョン・アンダーソンが最初に僕たちに言ったのは“ロジャー・ディーンのようなジャケットをデザインできるか?”ということだった。ストームと僕は互いに顔を見合わせ、“困ったな...”と言ったよ」

Q:パンクがヒプノシスにとって終焉の始まりだったと言えるでしょうか?

「そうだね。(デザイナー)ジェイミー・リードがやりやがったんだ! セックス・ピストルズでやった、紙を破って無地の背景に貼り付けるようなことは、ヒプノシスのやり方ではなかった。『Wish You Were Here』の制作費は5万ポンドだったけど、レコード会社は50ポンドで良いジャケットを手に入れることができるようになった。でも、もちろん僕たちは負けを認めなかった。僕たちは続けた。その後、CDが登場した。ストームとピーター(クリストファーソン)は僕より先に何が起こるかを見抜いていたんだ」

ヒプノシスのドキュメンタリー映画『ヒプノシス レコードジャケットの美学』は2025年2月7日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、シネマート新宿、シネ・リーブル池袋 他全国順次公開されます。詳しくはこちら