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ブラック・サバスのトニー・アイオミ ジェスロ・タル時代/ジェフ・ベック/エディ・ヴァン・ヘイレン/スラッシュメタル/アドバイス/サバスの今後について語る

2024/11/29 16:31掲載
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Tony Iommi
Tony Iommi
ブラック・サバス(Black Sabbath)トニー・アイオミ(Tony Iommi)は米Guitar Worldの新しいインタビューの中で、「指切断事故」「ジェスロ・タル時代」「ジェフ・ベック」「エディ・ヴァン・ヘイレン」「スラッシュメタルバンドへの影響」「ギタリストへのアドバイス」「ブラック・サバスが再びステージに立つことはあるのか?」について語っています。

■指切断事故

Q:あなたは17歳の時に工場での事故でフレットを押さえる右手の指2本を失い、もうギターは弾けないと言われたのですね。それは間違いなくギタリストにとって最悪の悪夢です。

「本当にひどかった。特に、その日が仕事を辞める予定の日だったので信じられなかったよ。バンドに参加してドイツに行くために退職することを伝えていた。最後の日に出勤したら、それが起きたんだ。ショックだった。そんなことが起こるなんて全く思っていなかったからね。本当に打ちのめされたよ」

Q:ある人が(大火傷を負い2本の左手指が動かなくなるが、その後の努力と研究によって独特のフィンガリングを生み出した)ジャンゴ・ラインハルトの話をしてくれたんですよね? 負傷後も彼が成し遂げたことを考えると、それはまるで一筋の光のように感じられたことでしょう。

「本当にそんな感じだった。その人は、俺が働いていた工場の監督だった。監督は俺が事故に遭ったことを知っていたし、俺が働いていた機械が不安定で故障しやすいことも知っていた。本当は、その機械で作業をするべきではなかったんだ。彼はジャンゴのレコードを持ってきてくれて、“これを聴いてみろ”と言ったんだよ。

その時、俺は落ち込んでいて何も聴きたくなかったんだけど、彼がレコードをかけて、それを聴かせてくれた。俺は“うん、素晴らしい”と言った。それから彼はジャンゴの話をしてくれた。正直言って、その話は本当に助けになったし、残されたもので演奏する方法を考える上で、インスピレーションを与えてくれたんだ」

■ジェスロ・タル時代

Q:あなたはジェスロ・タルのメンバーだったことがありますね。彼らから何を学びましたか?

「奇妙な出会いだった。ジェスロ・タルと一緒にライヴをやったんだけど、その夜は(ギタリストの)ミック・エイブラハムズが解雇されたか、辞めたかの夜だった。何が起こったのかは俺は知らない。彼らがステージ上でお互いにメモを渡しているのを見て、変だと思った。ライヴの後、彼らは俺に参加しないかと尋ねてきて、本当に驚いたよ。

バンで帰る途中、他のメンバーに“タルが参加しないかって聞いてきた”と話したら、みんなは“やってみろよ”と言ってくれた。それでロンドンまで来てオーディションを受けることになった。興味を持っているギタリストがたくさんいたからね。会場に入ると、たくさんのミュージシャンたちが並んで待っているのを見て、“ああ、ダメだ、やめとこう”と思った。でもスタッフの一人が俺を見つけて、道路の向こうのカフェで待ってろと言ってくれた。

みんながいなくなったときに呼ばれた。俺が演奏すると、彼らは俺に仕事が決まったと告げた。俺にとってはかなり大きな出来事だった。当時の大きな一歩だった。バーミンガムを出るだけでも大きなことだった。そうやってすべてが始まった。間違いなく俺にとって良い経験だった。彼らの仕事のやり方や、イアン・アンダーソンがバンドをどのように運営していたかについて、多くのことを学ぶことができた。

(それは具体的には?)

彼らは毎朝9時とか、決まった時間にリハーサルを行い、それから昼食のために休憩していた。 それは、まるで仕事に行くような感じだった。ブラック・サバスでは、そんなことはしていなかった。 俺たちはいつでも集まっていたが、おそらく正午過ぎくらいだったと思う。そんな早朝スタートは、ちょっとしたショックだった。他の人たちの仕事のやり方を学べて良かったよ。

音楽のキャリアを築きたいなら、真剣に取り組まなければならない。俺はメンバーたちにそう話した。ローリング・ストーンズの『ロックンロール・サーカス』など、タルでのいくつかの仕事を終えた後、俺はタルを去り、サバスの仲間たちにこう言った。“また一緒にやろう。ただし、努力して全力を尽くさなければならない”と。みんなは同意した」

■ジェフ・ベック

Q:ジェフ・ベックの作品のファンでしたか?

「ええ、ジェフは素晴らしかった。マネージャーが同じだったので、ジェフとは早い時期に知り合っていた。彼はとても個性的で独特だった。まさに100%彼そのものと言える独自のスタイルを貫く、本当に素晴らしいプレイヤーだった。言われていることは本当だよ。“誰もジェフのように演奏することはできない”」

■エディ・ヴァン・ヘイレン

Q:技術的な面で最後に感銘を受けたギタリストは誰ですか?

「最初はエディ・ヴァン・ヘイレンだった。彼らがキャリアの初期に俺たちとツアーをしたとき、俺は彼は本当に優れていて、当時としては非常に斬新なことをやっていると思ったよ。今では、すべてのテクニカルなプレイヤーがエディから学んでいることが分かる。彼の面白いところは、俺と同じように楽譜を読めなかったこと。すべてフィーリングからだった。彼は自分の耳だけを頼りに新しいものを生み出していたんだ。

最近耳にするギター演奏の中には、テクニックに走り過ぎているものがある。この音符もあの音符も正確に弾かなければならない。俺はそれができない。レコーディングでソロを弾いても、ライヴでは決して同じようには弾けない。スタジオでやったことを再現することはできない。似たようなことはできるが、まったく同じにはできないんだ」

Q:お互いに尊敬の念を抱いていました。エディはかつて、あなたがいなければヘヴィメタルは存在しなかったと語っていました。キャリアの初期に彼と行動を共にし、時代の変化を目の当たりにしたことは、彼にとって素晴らしい経験だったに違いありません。

「彼は最高だった。8か月間くらい一緒にツアーを回ったから、そのツアーで俺らは本当に親しい友人になった。よく同じホテルに宿泊していたから、彼はよく俺の部屋にやって来て、何時間も語り明かしたよ。それは素敵な時間だったし、彼が亡くなるまでずっと友人関係は続いた。彼は素晴らしい友人で、俺たちギタリストのために多くのことをしてくれた本当に素晴らしい人物だった。俺はエディが本当に好きだったよ」

Q:一緒にジャム・セッションをしたことはありますか?

「あったよ。ヴァン・ヘイレンがイギリスで演奏するためにやって来たとき、彼から連絡をもらった。彼はバーミンガムにいて会いたいと言っていたけど、その日はちょうどリハーサルだったので、会えるとは思わなかった。その後、彼にリハーサルに来るよう提案したところ、ぜひそうしたいと言ってくれたんだ。

俺は彼をホテルまで迎えに行き、ギターショップに寄って、彼がギターを演奏できるようにした。とても良かったよ。 他のメンバーは信じられない様子だった。エディと一緒に現れたら、彼らは“どうしたんだ?”という感じだった。結局、みんな一緒に演奏することになって、とても楽しかったよ」

■スラッシュメタルバンドへの影響

Q:『Sabotage』収録の「Symptom of the Universe」は、その後の10年に登場したスラッシュメタルバンドに直接的な影響を与えました。

「スラッシュバンドが自分たちに敬意を表してくれたのは嬉しかった。彼らがそれを新しいものへと押し進め、自分たちのものに変えてくれたのは素晴らしいことだよ。俺はただ自分が好きなものを思いついただけだ。

他のミュージシャンたちが俺のやったことを気に入ってくれて、同じようなアイデアを取り入れて、さらに改良し、それを独自のサウンドへと進化させてくれるのは素晴らしいよね。例えばメタリカは、おそらく俺たちや他の人々から学んだこともあるだろう。

彼らがメタルサウンドをスラッシュに変えたことは素晴らしい。彼らは常に俺たちに対して敬意を払ってくれており、素敵な人たちだよ。彼らの物事に対する態度、作曲のやり方、すべてが大好きだ。それは、かつての俺たちを思い出させる。みんなが一つの部屋で一緒にリハーサルをして、真剣に取り組んでいた頃をね」

■ギタリストへのアドバイス

Q:あなたはブルースの芸術に精通しています。心と魂を込めて堂々と演奏する秘訣は何でしょうか?

「自分の演奏についてしか語れないが、俺がブルースのサウンドが大好きなのは、それが心からのものだからだ。その瞬間に自分がどう感じているかが大事なんだ。さっきも言ったように、俺は楽譜が読めないし、同じ演奏を2度することはできない。その時、その瞬間に自分がどう感じているかがすべてだ。ブルースはそこから生まれるものなんだ。

自分がやっていることを信じて、それを意味を持って演奏しなければならない。世界最速のギターソロを弾くとか、楽譜の音符を正確に再現するといったこととは対極にあるものだ。ギターは自分の一部であるべきなんだ。演奏し続けることで、自分自身から学ぶことができる。もし今、誰かの速弾き演奏のビデオを見たら、おそらく俺はすぐにそれを消してしまうだろう。俺はそんなことはしない。それは俺の演奏のやり方ではないから。

何年も前に、教則ビデオの撮影をしたことがある。そういうビデオが制作され始めた頃の初期の作品のひとつだ。俺はロサンゼルスにいて、アルバムからソロを弾いてくれと頼まれたんだけど、もっとゆっくりと演奏するよう求められた。それは俺にとっては自然なことではなかった。同じソロを弾くことはできない。いつも少しずつ違ってしまう。もし誰かがギターを学んでいるなら、俺の一番のアドバイスは、耳を澄まして、心で感じることだ。

確かに、ビデオを見てコピーする人もいる、それは素晴らしいことだ。最近のテクニカルなプレイヤーは素晴らしい。若い子たちが自分の部屋で信じられないようなことをしている。でも、俺はいつもブルースのルーツに戻って、自分自身の内側を深く見つめ、真実を語るようにしている。人々を感動させたり、スピード制限を破ったりすることなど考えない。俺にとって重要なのは、自分自身にどう聴こえるかだけだ」

■ブラック・サバスが再びステージに立つことはあるのか?

Q:ブラック・サバスが再びステージに立つことはあるのでしょうか?ビルは最近、あなたたちと一緒にやりたいと言っていました。

「どうだろうね。絶対にないとは言えない。俺たちは絶対と言ったことはない。本当にみんなの健康状態と、お互いに何を期待しているかによる。俺たちは今でも一緒に演奏して、同じように演奏できるだろうか? それは分からない。長い時間が経っているからね。分からないよ。

もし実現するとしても、その頃にはみんなの状態も見極めなければならないし、ステージに上がれるかどうかはわからない。もしステージに上がるとしたら、良い状態でなければ、俺はやらない。

ただステージに立つだけでは意味がない。それをすることで何を証明できるというのか? もし、それが正しくないか、以前のようではないのであれば、やる意味はない。以前と同じかそれ以上の状態でなければ、俺としては、やる意味がないんだ」