マイケル・マクドナルド(Michael McDonald)は、自身のキャリアにおける主要な楽曲を振り返る中で、1970年代に
スティーリー・ダン(Steely Dan)のツアーやアルバムに参加したことについて語っています。米ローリングストーン誌の新しいインタビューより。マイケルは1974年にスティーリー・ダンにツアーメンバーとして参加、1975年アルバム『Katy Lied』にはバック・ヴォーカルで参加しています。
「ティモシー・B・シュミットと僕は同じような経歴の持ち主なんだけど、彼に笑わせてもらったことがある。“いつも同じことの繰り返しだった。素晴らしい仕事を手に入れて、待ちに待った仕事を手に入れたのに、1か月後にはバンドは解散してしまう”とね。まさにそのことが僕に起こった。突然、グレンデールのバーで演奏していた僕が、スティーリー・ダンとアメリカやヨーロッパをツアーするようになった。ギャラは大した額ではなかったけどね。当時スティーリー・ダンで金持ちになった人は誰もいなかった。ドナルド(フェイゲン)やウォルター(ベッカー)でさえもね。本当にがむしゃらに働いた。ツアーに出て、がむしゃらに働いた。僕は天にも昇るような気持ちだった。当時、彼らは僕の最もお気に入りのバンドだった。
そんな日々を過ごして帰宅すると、ドナルドとウォルターがツアー活動をやめ、スタジオにこもってアルバムを作るだけで、二度とツアーに出ないと決めたことを知った。望ましくないことが起こることを予想しておくべきだったけど、僕はいろいろと経験ができたことに感謝しているよ。
ドナルドとウォルターが次のアルバム『Katy Lied』の制作を手伝ってほしいと声をかけてくれたときは、とても驚いた。“Bad Sneakers”は、僕がスティーリー・ダンのバック・シンガーとしてスタジオで初めてレコーディングした曲。自分の声をまるで単独の楽器のように使う機会になった。すべてのパートを担当し、それを重ねた。僕は自分のデモでは、シンガーを雇う余裕がなかったので、すべてのパートを自分で歌い、多重録音もしていたけど、それについて深く考えたことはなかった。ドナルドは、僕が考えもつかなかったような方法で、僕の声の音色を試していた。ドナルドとウォルターが、ほとんど何でもできることは、僕たち皆が知っていたと思う。彼らが、それまで誰もやったことのないことに取り組んでいることを僕たちは知っていた。僕にとって、スティーリー・ダンのサウンドの一部になれたことは、とても刺激的でスリルな体験だったよ」