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マーティ・フリードマン、なぜあらゆるタイプの日本人にメタルやギター主体の音楽が受け入れられるのか、なぜアメリカではそうはならないのか語る

2024/11/27 10:39掲載
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Marty Friedman
Marty Friedman
マーティ・フリードマン(Marty Friedman)は、東京の日本外国特派員協会を訪れ、ヘヴィメタル/ハードロックやギターを主体とした音楽が、なぜ、あらゆるタイプの日本人に受け入れられているのか、そして、なぜアメリカではそうはならないのか、自身の考えを語っています。

「特に僕が成長した時代には、今もそうだと思うけど、ハードロックやラウドミュージックなどを聴いている人たちは、フットボールチームのクォーターバックのような存在ではなかった。人気者でもなく、賢くもなく、素敵なガールフレンドがいるわけでもなく、成績優秀でもなく、優等生でもない連中だった。授業をサボって、仲間とたむろして、たばこを吸ったり、たぶん他のこともしていた。人気者とは対極にある、はみ出し者だった。ハードロックが社会に居場所を見出していたのは、まさにそういう場所だった。

人気者たちはダンスミュージックやポップミュージックが好きで、音楽にはそれほど興味がなかった。彼らはすでに充実した生活を送っていたから、音楽は重要ではなかった。音楽に深くのめり込んで、音楽に救われる必要はなかった。彼らは“ああ、音楽が流れている。いいね。踊ろうぜ。パーティーだ。最高”って感じだった。友達がそんなに多くない僕たちは、家でブラック・サバスを大音量で流して“いいね、イエー、イエー、イエー、イエー。最高だ。かっこいい”って感じだった。人気者たちはそんな感じじゃなかったんだ。

でも、日本では全く違うんだ。バンドをやっている人を見ると、ロックをやることに人生を捧げている人たちを見ると、彼らは学生時代に人気者で、イケメンで、ガールフレンドがいて、スポーツチームに入っていて、成績も良かった、ごく普通の人たちなんだ。でも、なぜかロックをやっていて、うるさくて不快な音楽をバンドで演奏している。彼らに会うと、とても礼儀正しく、言葉遣いも丁寧で、カート・コバーンのようなタイプとは全く違って、普通にいい人たちで、いい仕事をして、礼儀正しく、ロックをやっている。ここに長く住んでいると、なぜそうなのかを分析したくなる。そのような疑問に対する答えを見つけようとするけど、僕は自分の意見しか言えない。

ハードロックやギターをベースとした音楽、ヘヴィメタルやギターを主体とした音楽が、あらゆる種類、あらゆるタイプの日本人に受け入れられている理由について、僕の考えを言います。反対意見も大歓迎だよ。

日本の伝統音楽では、弦楽器を激しく弾いて大きくはじく音を出す、特に大きなピック(撥・バチ)で弾く三味線とか、歪んだギターを攻撃的に演奏する音は、すでに人々の祖父母や曽祖父母が慣れ親しんできたものであり、聴くことに慣れているのだと思う。彼らはすでにそれに慣れているんだ。演歌や伝統音楽のような年配の方々の音楽にも、驚いたことに、歪んだギターソロが入っている。まるでアイアン・メイデンのようなものだった。これを誰が聴いているのか? 95歳の人とか。アメリカではありえない。なぜなんだろう?

三味線の歪んだ音は、ギターペグの上にスイッチのようなものがあって、それを切り替えると、ダンダンダンダンと、歪んだ音になる。日本人には聴き慣れた音だから、彼らにとっては全く反抗的な音ではないんだ。アメリカでは、歪んだギターを弾いたら“何てこった、大変だ”という感じだよね。だからこそ、ジミ・ヘンドリックスはあれほどまでに大きな影響を与えたんだ。当時、ギターで音を立てるなんて誰もやらないことだった。それは世界で最も嫌われることだった。確かに祖母たちはそれを聴いていなかっただろう。ロックやヘヴィメタルは人を怒らせる手段だった。でも、日本では誰も怒らなかったと思う。同じことに対してのアプローチが少し違うんだ。僕はそれがとても魅力的だと思う。

これが僕の答え。もっと良い説明があるかもしれないけど、僕の日本での音楽経験から言えば、そういうことだと思う。それが違いだと思うよ」