伝説的プロデューサー、
エディ・クレイマー(Eddie Kramer)によると、
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)は、音楽を色で表現していたという。カナダのグローブ・アンド・メール紙の最近のインタビューの中で振り返っています。
「彼は音楽について専門的な用語で話るのではなく、色を使って表現していた。
“もっと紫が欲しい”とか、“ここに緑を加えよう”とか言っていた。彼にとって、リバーブは緑、ディストーションは赤で、それぞれの曲には独自のパレットがあった。それは単に音符やコードについてではなく、感情を創り出し、音で絵を描いていた。
私は他の誰とも同じような言語を見つけられなかった。ジミとは、彼が何を言いたいのかがすぐに理解できた。それは、私たちのセッションを非常にダイナミックなものにする、ある種の暗号のようなものだったんだ」
また、クレイマーによると、ヘンドリックスの周りには常に付きまといの「たかり屋」がいたせいで、セッションが非生産的になることもあったという。ヘンドリックスのレコーディング・セッションは「狂気の天才が運営するサーカスに足を踏み入れたような」ものだったと振り返っています。
「彼の周りにはいつも人がいた。取り巻きやミュージシャン、さまざまな人たちが絶え間なく出入りしていた。『Electric Ladyland』のセッション中のあるとき、30人もの人がコントロールルームに押し寄せ、たむろして、飲んだり、タバコを吸ったり、騒いでいた。
私はついに言った。“ジミ、終わらせたいなら、この雑魚どもを追い出す必要がある”とね。彼はため息をついて“ああ、そうだな”と言い、私と彼、そしてテープ・オペレーター以外は全員追い出した。静かになった途端、彼は1テイクでそのトラックを完璧に仕上げたんだ。(当時は)まさにそんな感じだった。混沌が渦巻いていたが、ジミは集中していた。ライヴ・パフォーマンスで見たのと同じような激しさだったが、さらに集中していた」