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デイヴィッド・フォスター、シカゴ「素直になれなくて」/ホイットニー・ヒューストン歌唱『ボディガード』主題歌/EW&F楽曲を語る

2024/11/07 16:03掲載
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David Foster
David Foster
デイヴィッド・フォスター(David Foster)は自身がプロデュースした、シカゴ(Chicago)「Hard to Say I'm Sorry(邦題:素直になれなくて)」、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)「I Will Always Love You」、アース・ウインド&ファイアー(Earth, Wind and Fire)「After the Love Has Gone」について語る。米ロサンゼルス・タイムズ紙の企画より。

フォスターは自身がシカゴを「台無しにした」と感じているという。また映画『ボディガード』の主題歌に「I Will Always Love You」を使ったのはケビン・コスナーのアイデアだったというのは本当か? 「After the Love Has Gone」はアース・ウインド&ファイアーの前にホール&オーツにオファーしていたというのは本当か?についても語っています。

■シカゴ「Hard to Say I'm Sorry(邦題:素直になれなくて)」(1982年)

「(フォスターがプロデュースした)『Chicago 16』を完成させたところで、(業界の重鎮)アーヴィング・アゾフが連絡をくれて、“『青い恋人たち(原題:Summer Lovers)』という映画があるんだけど、そのために、君たちに曲を書いてほしい”と言ってきた。それで、ピーター(セテラ)がトルーカ・レイクにある僕の家に来て、1時間ほどで曲を書き上げた。共作はいつも助かるよ」

Q:何かテーマや感情があったということですね。

「実はシーンがあった。映画の中で、ピーターが“Everybody needs... ”と歌い始めると、ピーター・ギャラガーが乗っている原付バイクが遠くに現れる。そして、そのバイクがどんどん近づいてきて、僕たちの曲をかき消すほどバイクの音が大きくなるんだ」

Q:シカゴとドゥービー・ブラザーズ、あるいはフリートウッド・マックの間に類似性があると思いますか? これらのバンドは、ある時点で体制が変わって、バンドのサウンドがかなり大きく変化しています。

「そんなことは考えたこともないし、当時もそう感じなかった。でも、あの頃のグループは本当に不幸だったし、今もある程度そうだよね。なぜ彼らが不幸だったのか、僕には分かる。僕は若く傲慢な旅芸人のように現れた。“よし、今から僕がピアノをすべて弾く”と言ってね。ピーターはもうベースを弾きたくなかったので、僕はシンセベースもやった。

だから、僕はベース奏者であり、ピアノ奏者であり、共作者であり、プロデューサーであり、ほとんどの曲のアレンジャーでもあった。あの時は、僕が彼らのようになろうとしていたというよりも、僕が彼らを僕のようにさせていたということに気づいていなかった。僕は彼らを手本にしようとしていたんだけど、必要以上に僕が出てしまったんだろうね。彼らはバラード・バンドになりたくなかったから、イライラしていたんだ。

シカゴでの僕の使命は、彼らの偉大さを思い出させることだった。シカゴ・トランジット・オーソリティだった60年代後半の大ファンだった。『Chicago 16』の頃、彼らは自分たちの偉大さを忘れていた、それだけなんだ。要するに、彼らが怒るのも無理はないんだ」

Q:「Hard to Say I'm Sorry」は1位を獲得しました。その成功は彼らは怒りを鎮めたのでしょうか?

「いや、彼らはそれ以前にもすでに大成功を収めていたからね。彼らはとても尊敬されていたし、ほとんどの場合、批評家から愛されていた。僕はそれを台無しにしてしまったんだ」



■ホイットニー・ヒューストン「I Will Always Love You」 (1992年)

Q:ホイットニーはリメイクする前にドリー・パートンのオリジナル・ヴァージョンを知っていましたか?

「彼女は知らなかった。僕も知らなかった」

Q:この曲を使ったのはケビン・コスナーのアイデアだったという話もありますが。

「確かではないけど、最初にこの曲について言及したのは彼のアシスタントだったと聞いている。

当初は(ジミー・ラフィンの)“What Becomes of the Brokenhearted”を使いたかったようだよ。僕はホイットニーのためにこの曲のデモを2回作り、2回とも彼女が映画を撮影していたロサンゼルスのダウンタウンまで車で行った。僕は曲は気に入っていたけど、ホイットニー・ヒューストンが歌うには骨組みが十分ではないと感じていた。そのため自信が持てず、それが彼女の反応に影響したのかもしれない。彼女はどちらのデモも気に入らなかった。

さらに、驚いたことに、この曲は(米ビルボード誌のチャート)Hot 100に登場した (イギリスの歌手ポール・ヤングのカヴァーが) 。僕は動揺しているふりをしなければならなかった。“ケビン、信じられないことが起こったんだが...”。彼は“わかった、ちょっと考えてみるよ”と言って、次の瞬間には僕に“I Will Always Love You”というタイトルを伝えたんだ。

当時は、何かを聴くにはレコード店に行かなければならなかった。僕はアシスタントをそこに行かせ、彼女はドリーのヴァージョンではなくリンダ・ロンシュタットのヴァージョンを持って帰ってきた。リンダ版は3番はなく2番までしか歌わなかったから、僕はそれがこの曲だと思っていた。3番があるなんて知らなかったんだ。

フロリダでレコーディングしたんだけど、ドリーとは友人で、彼女のアルバムの多くで演奏していたので、彼女に電話をして、ホイットニーが彼女の曲をやっていると伝えた。すると彼女は“いいわね、早く彼女が3番を歌うのを聴きたいわ”と言っていたので、僕は“3番はないよ”と答えると、すると彼女は“何を言っているの?‘あなたの喜びと幸福を祈ります’という歌詞で、曲全体が締めくくられているじゃない”と言った。それでスタジオに戻って、その時にドラムのアイデアが浮かんだんだと思う」



■アース・ウインド&ファイアー「After the Love Has Gone」 (1979年)

「(モータウンの創設)ベリー・ゴーディにアルバムの売り込みをしていたときだった。僕が手がけた最初の作品の一つだけど、彼はあまり乗り気ではなかった。僕は“待ってください、もっとあります”と言ったんだけど、実際にはもうなにも持っていなかった。彼は“見せろ”と言ったので、僕はピアノの前に座った。その時、神に誓って、リアルタイムで“After the Love Has Gone”のサビが降ってきたんだ」

Q:ピアノの前に座った時には何もなかったのに。

「何もなかった。完全に彼を欺いた」

Q:トミー・モトーラは回顧録の中で、あなたはアース・ウインド&ファイアーよりも先にホール&オーツにこの曲をオファーしたと書いています。

「当時、僕はホール&オーツのプロデュースをしていたから、ホール&オーツにオファーしたんだ。しかし、彼らの方向性にはその曲は合わなかった。彼らはもっとロックに行こうとしていた。それからモーリス・ホワイトにその曲を聴かせたんだけど、ベリー・ゴーディのときよりも緊張したよ。モーリスは最高だった。彼は“この曲をレコーディングしたい”と言ってくれたので、僕の心臓はドキドキだった。“いつですか?”と僕が尋ねると“今夜だ。君も演奏に参加するんだ”と彼は答えたよ」

Q:「After the Love Has Gone」はHot100で2位を記録しました。何が1位を阻んだか覚えていますか?

「もちろん覚えているよ。(ザ・ナックの)“My Sharona”だ。

あの曲も大好きなんだ。(ザ・ナックの)ドラマーとも友達だしね。でも(“My Sharona”のリフを歌いながら)自分たちの曲の方が素晴らしい要素がたくさん詰まっているように思えたから、ちょっと腹が立ったよ。でも、一般の人はそんなこと気にしないんだよ」