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エイドリアン・ヴァンデンバーグ、ホワイトスネイク離脱後に15年もの間レコーディングから遠ざかっていた理由を語る

2024/11/07 14:15掲載
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Adrian Vandenberg
Adrian Vandenberg
ホワイトスネイク(Whitesnake)などでの活躍でも知られるギタリストのエイドリアン・ヴァンデンバーグ(Adrian Vandenberg)は、Alma Hardとの新しいインタビューの中で、ホワイトスネイクから離れた後、2014年にヴァンデンバーグズ・ムーンキングス(Vandenberg's MoonKings)のデビューアルバムをリリースするまで、15年もの間レコーディングから遠ざかっていた理由を語っています。

「1998年まではデイヴィッド(カヴァデール/ホワイトスネイク)と一緒にいたよ。ツアーをしていた。1994年と1997年、1998年にもツアーをした。98年の終わり頃、デイヴィッドは体調がすぐれず、ツアーをもう楽しめなくなっていたから、すべてを止めたんだ。

1999年、当時付き合っていた彼女に子供ができた。僕たちに赤ちゃんができた。僕は“素晴らしい。そばにいてあげたい”と思った。ツアーに出たくなかったし、レコーディングもしたくなかった。とても大切なことだったからね。でも、赤ちゃんが3歳になったとき、僕たちの関係は破綻した。僕たちは結婚していなかった。とても辛い時期だった。そして思ったんだ。“もし今レコーディングしてバンドを結成してツアーを始めたなら、ドアの隙間から顔を出して‘お父さん、行かなきゃいけないんだ’と言うような父親になるだろう”とね。破綻したとき、僕は娘の人生において重要な存在になりたいと思ったんだ。“10年か11年は絵で食べていこう”と思った。そして実際にそうした。娘が大きくなって、僕が実際に何をしているのか、以前は何をしていたのかを説明できる年齢になるまではね。

娘が11歳か12歳になり、説明できる年齢になったとき、娘の学校には“この人がお父さんなの? 彼は有名人だし、髪も長いよね”とか、そういうことを言う子がいたので、娘にとってはとてもクールなことだと思ったようなんだ。娘が11歳か12歳になるまでは、僕がギターを弾いたり絵を描いたりしていることは、彼女にとってはごく普通の日常だったんだ。

それからムーンキングスを始めた。娘は12歳かそこらだったはず。僕は演奏したりツアーをしたり、ライヴをしたりすることが本当に恋しかったので、また再開できて嬉しかったよ。その時、こうも思った。“まあ、世界は当然、僕のことを忘れてしまっているだろう”とね。それはまったく普通のことだよね。ポップミュージックがポップミュージックと呼ばれるのは、60年代にビートルズのようなバンドやポップアーティストが登場したとき、人々は“ああ、それは捨てられるような音楽だ。ポップミュージック、大衆音楽だ。2、3か月もすれば忘れ去られる音楽だ”と思ったからだしね。でも幸いにも、決して消え去ることはなかった。だから僕も消えなかった。僕は今もここにいる」