メガデス(Megadeth)は30年前、インターネット初期にウェブサイトを立ち上げたバンドのひとつで、
デイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)はチャットルームに参加した最初のミュージシャンのひとりだったという。ムステインは米ビルボード誌のインタビューの中で、当時を振り返り、ある匿名の荒らしがチャットルームで「shit(クソ)」という言葉を何度も何度も投稿し続けたことを思い出しています。
ムステインは「どうやったらこれを消せるか?と考えていた。今でも、あの男が誰だったのわからない。他に誰もいなかったので、その男はチャンスだと思ったんだろうね」と振り返っています。
1994年10月、メガデスの当時の所属レーベルだったキャピトル・レコードのセールス・ディレクターであったロビン・ベッテルは、新設されたスタジオの所在地を基にしたヴァーチャル都市『Megadeth, Arizona』を提案。これは史上初のアーティストウェブサイトのコンセプトでした。
このサイトには、「Megadiner」と呼ばれるチャットルームに加え、アートやデジタルポストカードのコレクション、ショップ、ホラースコープと題された新聞、ビデオやオンラインラジオへのリンクなどが掲載されました。
これはメガデスの最新アルバム『Youthanasia』のプロモーションを目的として設計されたものでしたが、そのレガシーは最終的に「人々をインターネットに引き込むもの」となったとベッテルは語っています。同氏は現在、UberやEverlaneなどの投資家です。
ベッテルは、ロサンゼルスのマルチメディアスタジオを見学し、ビデオやウェブサイトにおけるマクロメディアソフトウェアの使用法について学んでいる際にメガデスのコンセプトを思い描きました。
彼女はメガデスのウェブサイトに関する企画書を書き、キャピトルに3万ドルの予算を要求しました。彼女の上司であるセールスおよびフィールドマーケティング担当上級副社長のルー・マンは、他のキャピトルの社員には彼女が何を言っているのかわからなかったにもかかわらず、彼女の提案に同意しました。ベッテルはこう振り返っています。
「私は企画書を書きました。それはウェブサイトとは何かを説明しようとしたものです。メガデスのアルバムがリリースされる予定でした。私はミーティングに招待されましたが、当時はまだ誰もインターネットを知らず、みんなはアルバムのジャケットを撮影するカメラマンを誰にするのか、そのジャケットがポスターになるのか、そのジャケットやポスターがレコード店に置かれるかどうかということに注目していました」
ルー・マンはこう話しています。
「彼女はそれについて大々的にプレゼンテーションを行いました。その部屋には10人ほどの人がいましたが、その内の9人は、彼女が何を言っているのかさえ理解していませんでした。私たちの業界には伝統主義者がたくさんいました。ラジオで流して、店頭に並べる。でも、これは新しいマーケティング方法でした。大変でした。彼らは疑い深く、それは他のことにも影響がありました」
このウェブサイトがアルバム『Youthanasia』の売り上げにはつながらなかったかもしれませんが、新聞や雑誌で大きな注目を集めました。ベッテルはこう話しています。
「メガデスが関わったとたん、それは飛び立ちました。バンドのメンバーはいつもMegadinerにログインしていました。彼らは、それを現代のテープ交換のようなものだと考えていたと思います。彼らは完全に理解していました」
ほどなく、他のアーティストたちもウェブサイトを要求するようになりました。キッスのジーン・シモンズが「ムステインのようなウェブサイトが欲しい」と言ったという話を耳にしたムステインは、その噂を確認するためにバンドのマネージャーに連絡しました。1時間後、シモンズ本人から電話がかかってきたという。