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ブライアン・フェリー 「Slave to Love」の誕生と思い出を語る

2024/10/29 13:27掲載
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Bryan Ferry / Boys & Girls
Bryan Ferry / Boys & Girls
ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)のソロの代表曲のひとつ「Slave to Love」。この曲の誕生と思い出についてフェリー自身が振り返っています。英ガーディアン紙企画。

「僕は音楽の探偵ではないけれど、この曲のインスピレーションは、僕が5歳の時に聴いた(米ヴォーカル・グループの)インク・スポッツの“Prisoner of Love”から得たものだと思う。叔母の夫は軍に所属してヨーロッパに駐留しており、彼が手に入れて自宅に持ち帰ったアメリカのレコードの中にインク・スポッツのレコードがあったのだと思う。78回転のシングル盤は今でも持っているよ。

ニューヨークのホテルの部屋で、夜中に歩き回っているうちに歌詞を書いた。それまではもっと難解なことをやっていたけど、今回はシンプルで覚えやすい、誰もが楽しめる曲が欲しかった。ヒットしたよ! 最初の歌詞“彼女に伝えてくれ / いつものところで待ってるって / 疲れ果てて / もう逃げ場はないんだ”が、その曲の雰囲気をよく表している。

ロキシー・ミュージックでの活動も大好きだったけど、ソロになれば、世界は自分の思いのままだ。デヴィッド・ギルモア(ギター)、デヴィッド・サンボーン(サックス)、ナイル・ロジャース(ギター)といった大物ミュージシャンを集めた。ニール・ジェイソンのベース演奏には独特のスイング感があって、それがこの曲にぴったりだった。ニール・ハバードは、とても素晴らしいソウルフルな音色を持っており、僕たちは曲を彼を中心に作り上げるために、早い段階で彼をレコーディングした。中盤のギターソロは、ギルモア、キース・スコット、ハバードの3人のギタリストが織りなすものだった。

この曲のビデオは(ファッションフォトグラファーでもある)ジャン・バプティスト・モンディーノとパリで撮影した。とても美しく、ある種のシックさも感じられる作品に仕上がった。美しい女性たちと僕が映り込んでいるけど、それはまさに僕が望んでいたものだった。ビデオの最後では、僕が、まるで長い間生き別れていた娘と再会したかのように子供と抱き合っている。いい演出だよね。この子役は、1973年にサルバドール・ダリと一緒に食事をしたことのある人物の娘だったんだ。

僕が初めてこの曲を演奏したのは、ライブ・エイドだったんだけど、ドラマーがスネアドラムの皮を破ってしまい、ベースはチューニングが違っていたし、ギルモアのギターはうまく機能していなかった。また、僕のマイクの調子が悪かったため、他のマイクを僕のマイクにテープで貼り付けなければならなかった。でも、そんなことがあっても、この曲はすぐにヒットし、多くの映画でも使用されるようになった。人々が自分の感情を重ねてくれるのは素晴らしいことだよ」

プロデューサーのレット・デイヴィスも振り返っています。

「ブライアンのアルバム『Boys and Girls』は、ロキシーではないけれど、その続きのような感じがする作品だった。僕たちはまずサセックスにある彼の自宅で、彼の声とCP-80のエレクトリックピアノだけで作業を始めた。それからロンドンのホワイトハウスと呼ばれるスタジオに行き、その後ニューヨークのベット・ミドラーの自宅に行った。彼女は眠れないことが多くて防音室を作っていたんだけど、僕たちはそこにスタジオを作ったんだ。

この曲は完成させるのが最も難しく、何度もやり直した。コーラス部分には、完成させることができなかった別の曲から取り入れた小さなキーボードのフレーズがあり、それを“Slave to Love”に移動させた。

ブライアンは曲全体を通してストレートに情熱的なものを入れるのが大好きで、この曲ではそれはカウベルだった。ドラマーのオマール・ハキムは、有名なリバーブ効果のあるニューヨークのパワーステーション・スタジオの階段の吹き抜け部分で、大きなスネアドラムの音を録音した。

ブライアンはまだ歌詞を書いていたので、ヴォーカルは最後に録音した。そして、この曲がアルバムで最後に完成したトラックとなった。(ミキシング・エンジニアの)ボブ・クリアマウンテンは、この曲を何度も何度も、さまざまなスタジオでミキシングした。彼は、エア・スタジオでミキシングしているとき、あまりに長時間作業していたため、つい居眠りしてしまったそうだ。午後3時になってようやく完成した。完成した曲を聴いたときは、ただただ興奮した。今聴いても、何も変える必要はないよ」