Phil Lesh at Brooklyn Bowl in 2017 (photo by Lou Montesano)
グレイトフル・デッド(Grateful Dead)の創設メンバーでベーシストの
フィル・レッシュ(Phil Lesh)が死去。レッシュのSNSアカウントで発表。死因は明らかにされていません。84歳でした。
以下、声明より
「グレイトフル・デッドの創設メンバーでベーシストのフィル・レッシュが今朝、安らかに息を引き取りました。彼は家族に囲まれ、愛に満ちた最期でした。フィルは周囲の人々に計り知れないほどの喜びをもたらし、音楽と愛のレガシーを残しました。現時点ではレッシュ家のプライバシーを尊重していただくようお願いいたします」
フィル・レッシュことフィリップ・チャップマン・レッシュは米カリフォルニア州バークレーで生まれ育った。1961年にカリフォルニア大学バークレー校に入学し、イタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオのもとで音楽と作曲を学んだ。同大学ではスティーヴ・ライヒの同級生でもあった。
大学生の頃、ジェリー・ガルシアと出会う。1964年にガルシアにベースを弾くよう誘われるが、それまで一度もベースを弾いたことがなかった。1965年、ベーシスト見習いだったレッシュは、ジェリー・ガルシア、ボブ・ウェア、ロン・マッカーナン、ビル・クルーツマンとともにワーロックスというバンドに参加した。翌1965年、バンド名をグレイトフル・デッドに改名し、急成長するベイエリアのカウンターカルチャー・シーンの中心的な存在となった。
1967年から1969年にかけて、グレイトフル・デッドはサイケデリック・ムーブメントを定義づけるアルバムをリリースした。レッシュは、ソングライターとして、あるいはシンガーとして、多くの曲で主導的な役割を担うことはなかったが、1970年のアルバム『American Beauty』のオープニングとエンディングの曲「Box of Rain」と「Truckin’」では共同作曲を手がけた。 また、「Box of Rain」ではリード・ヴォーカルも担当した。
グレイトフル・デッドはヒットチャートとはほとんど無縁の存在ながら、毎年のように大規模ツアーを行い、観客動員数も上位だった。彼らの熱狂的なファンは「デッドヘッズ」として知られた。
レッシュは70年代、80年代、そして90年代前半を通してバンドの要であり続け、ジェリー・ガルシアの死後、1995年にバンドが解散するまでグレイトフル・デッドのメンバーとして活躍した。
バンドが解散を発表した後、レッシュは、フィル・レッシュ・アンド・フレンズを結成。メンバーを入れ替えながら、自身の昔のバンドの楽曲や他のアーティストの曲のカヴァーを演奏するライヴ活動を始めた。また、元バンド仲間たちとThe Others Ones、The Dead、Furthurを結成し、自身の元バンドの音楽を生き続けさせることに専念していた。しかし、かつてのバンド仲間たちが結成したバンド、デッド&カンパニーには参加しなかった。
レッシュは1998年にC型肝炎に感染した結果、肝臓移植を受けた。2006年には前立腺癌と診断され、手術を受け、その後、2013年に膀胱癌と診断された。