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『小津安二郎発言クロニクル 1903~1963』発売

2024/10/24 21:32掲載
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小津安二郎発言クロニクル 1903〜1963
小津安二郎発言クロニクル 1903〜1963
『東京物語』『晩春』『麦秋』などで世界的に著名な映画監督、小津安二郎のクロノロジカルな発言集『小津安二郎発言クロニクル 1903~1963』が三四郎書館から11月25日発売。書籍、映画専門誌、一般雑誌、新聞(一般紙・スポーツ新聞)、日記、手紙、動画、録音などに残された発言、テキストを、その誕生から没年に至る「60年間」に及ぶ軌跡を、年代別、通時的に集成。
■『小津安二郎発言クロニクル 1903~1963』
小津安二郎【著】
発行元:三四郎書館
2024/11/25発売
¥3,500(税別)

<内容>

本書は、『東京物語』『晩春』『麦秋』などで世界的に著名な映画監督、小津安二郎のクロノロジカルな発言集です。書籍、映画専門誌、一般雑誌、新聞(一般紙・スポーツ新聞)、日記、手紙、動画、録音などに残された発言、テキストを、その誕生から没年に至る「60年間」に及ぶ軌跡を、年代別、通時的に集成しました。

小津監督は「映画界には言葉が多過ぎるよ」という批判的な発言を残しましたが、映画評論家やジャーナリストは、小津の独創的な映画作品や人格的な魅力に吸引されるとともに、その生の言葉を求め、多くの座談会、対談、インタビュー等の取材が行われました。

その結果、映画監督としては異例なまでに多くの「発言」や「言葉」が世界に残されることになりました。

小津監督はきわめてサービス精神の旺盛な映画作家であったと同時に、映画を愛することに伴った責任感を強く意識した表現者でもあり、ジャーナリズムの要望や期待に多く応えました。

小津監督の周囲には、小津監督を温かく支える家族、親族、友人、小津組というプロフェッショナルな製作集団、脚本家、一流の俳優、映画評論家、研究者、文学者、画家などの芸術家がいました。

このような仲間たちの信頼と愛情の環が、小津監督の発言や言葉を保存し、残すことを大きく支えました。

本書は、その遺産を基礎に、小津監督の発言の軌跡を年代順に集成した発言の年代記=クロニクルです。映画史的な時代背景なども各年代の冒頭の梗概部にまとめ、時代の流れの中に小津監督の発言を置いて味わえます。

また、小津監督と同じ時間を共有した関係者の発言も随所に織り込み、より多角的な視点から小津監督の人柄や人生観、映画作家としての考え方が理解できるように構成しました。

<目次>

はじめに(凡例に代えて)



第一章 明治三十六年(一九〇三) 〇歳 ▶ 大正十一年(一九二二) 十九歳



【生い立ち/幼少期から学生時代/映画との出遭】





第二章 大正十二年(一九二三) 二十歳 ▶ 昭和十年(一九三五) 三十二歳



【蒲田撮影所時代/サイレント映画】



懺悔の刃・若人の夢・女房紛失・カボチャ・引越し夫婦・肉体美・宝の山・学生ロマンス 若き日・和製喧嘩友達・大学は出たけれど・会社員生活・突貫小僧・結婚学入門・朗かに歩め・落第はしたけれど・その夜の妻・エロ神の怨霊・足に触つた幸運・お嬢さん・淑女と髭・美人哀愁・東京の合唱・春は御婦人から・大人の見る絵本 生れてはみたけれど・青春の夢いまいづこ・また逢ふ日まで・東京の女・非常線の女・出来ごころ・母を恋はずや・浮草物語・箱入り娘・東京の宿



第三章 昭和十一年(一九三六) 三十三歳 ▶ 昭和十四年(一九三九) 三十六歳



【大船撮影所時代/トーキー映画に挑戦/戦場での生活】



大学よいとこ・鏡獅子・一人息子・淑女は何を忘れたか





第四章 昭和十五年(一九四〇) 三十七歳 ▶ 昭和二十年(一九四五) 四十二歳



【映画法と事前検閲/国策映画の推奨/軍報道部映画班員としてシンガポールへ】



戸田家の兄妹・父ありき





第五章 昭和二十一年(一九四六) 四十三歳 ▶ 昭和二十八年(一九五三) 五十歳



【敗戦/引揚船での帰還/戦後の混乱期/紀子三部作の時代】



長屋紳士録・風の中の牝雞・晩春・宗川姉妹・麥秋・お茶漬の味・東京物語





第六章 昭和二十九年(一九五四) 五十一歳 ▶ 昭和三十二年(一九五七) 五十四歳



【田中絹代監督『月は上りぬ』を支援/最後の白黒映画】



早春・東京暮色





第七章 昭和三十三年(一九五八) 五十五歳 ▶ 昭和三十五年(一九六〇) 五十七歳



【カラー映画の時代/『東京物語』海外での評価/紫綬褒章を受賞】



彼岸花・お早よう・浮草・秋日和





第八章 昭和三十六年(一九六一) 五十八歳 ▶ 昭和三十八年(一九六三) 六十歳



【宝塚撮影所での撮影/最後の作品/晩年の病】



小早川家の秋・秋刀魚の味





余滴



主要な参考文献

<著者略歴>
小津安二郎【著】

日本の映画監督(1903~1963)。日本映画を代表する監督の一人。サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、原節子主演の『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)など54本の作品を監督した。ロー・ポジションによる撮影や厳密な構図などが特徴的な「小津調」と呼ばれる独特の映像世界で知られる。親子関係や家族の解体をテーマとする作品を撮り続けた。黒澤明や溝口健二と並んで国際的に高く評価されている。