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ホイットニー・ヒューストンの母親でエルヴィス/アレサ/ジミヘン等のバックコーラスも務めたシシー・ヒューストン死去

2024/10/08 09:13掲載
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Cissy Houston - Gems, Redferns, Getty Images
Cissy Houston - Gems, Redferns, Getty Images
ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の母親であり、自身もソウル/ゴスペルの名シンガーで、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)などのバックコーラスも務めた、シシー・ヒューストン(Cissy Houston)が死去。91歳でした。

シシーは10月7日の朝、ニュージャージー州の自宅で家族に囲まれて安らかに息を引き取ったことを義理の娘のパット・ヒューストンがAP通信に語っています。シシーは、アルツハイマー病のホスピスケアを受けていました。パットは声明で「私たちの心は痛みと悲しみでいっぱいです。私たちは家族の家長を失いました」と述べ、シシーのポピュラー音楽と文化への貢献は「比類のない」ものだったと彼女は語っています。

シシー・ヒューストンは1933年9月30日、エミリー・ドリンクード(Emily Drinkard)としてニューアークで生まれる。シシーの歌手としての経歴は、1938年にきょうだいと共にゴスペル歌手グループにに加入したときに始まった。

1963年、娘のホイットニーを出産した同じ年に、シシーはR&Bのヴォーカル・グループ、スウィート・インスピレーションズを結成。1960年代半ばにはオーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ダスティ・スプリングフィールド、シシーの姪であるディオンヌ・ワーウィックなど、様々なアーティストのバック・ヴォーカルを務めた。

シシーはアレサ・フランクリンのヒット曲「Ain't No Way」でデスカントを歌い、重要な役割を果たした。また1967年、スウィート・インスピレーションズはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの曲「Burning of the Midnight Lamp」でバック・ヴォーカルを務めた。

1969年、エルヴィス・プレスリーがラスベガスでの公演に復帰した際、スウィート・インスピレーションズはバックコーラスに抜擢された。プレスリーは公演でよく“皆さん、彼女たちはまさにその名にふさわしいグループです。スウィート・インスピレーションズです!」と紹介していた。スウィート・インスピレーションズは1970年まで、プレスリーのカムバック公演の多くでバックコーラスを務めた。

その後、子供たちが大きくなるにつれ、彼女はツアーをやめてレコーディングアーティストとしてのキャリアに集中することを決意する。シシーは1970年にソロ活動を開始。90年代半ばにはゴスペルを歌うようになり、ゴスペル・アルバム部門で2度グラミー賞を受賞した。

その後もバックコーラスとして活躍し、ポール・サイモンの「Mother and Child Reunion」、リンダ・ロンシュタットの「Heart Like a Wheel」、デヴィッド・ボウイの「Young Americans」などのレコーディングに参加した。