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エアロスミスの70年代についてジョー・ペリー回想、当時のツアー生活/『Live! Bootleg』制作/窓からテレビを投げ捨てたが失費を知り楽しめくなった

2024/10/02 15:25掲載
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Joe Perry - Photo:Ross Halfin
Joe Perry - Photo:Ross Halfin
エアロスミス(Aerosmith)の70年代についてメンバーのジョー・ペリー(Joe Perry)がGuitar Worldの新しいインタビューの中で回想。70年代当時のツアー生活/『Live! Bootleg』制作/自身の脱退などについて語っています。

Q:70年代当時のエアロスミスのツアー中の生活はどのようなものだったのでしょうか?

「俺たちはよく旅をした。インディアナ州のテレホートからチャールストンまで簡単に行けた。それからアトランタかタンパに向かい、ロサンゼルスに行った。ツアーバスは利用しなかった。自家用車とか、民間航空機とか、チャーター機とかを利用した。ホリデイ・インとか、その手のホテルに泊まったりしていた。だって、高級ホテルからは“ロックンロールバンドはお断り!”と言われていたからね。

それ以外は、ほとんどライヴで、それはそれで良かった。観客は楽しかっただろうね。チェックインして、荷物を受け取って、部屋に行って、サウンドチェックをして、ライヴをやって、それからホテルに戻ってぶらぶらして、次の街に行く。ライヴの後はほとんどホテルのバーで過ごした。とても楽しかったよ」

Q:辺ぴな田舎の都市にとっては、皆さんのような若い男たちは、さまざまなトラブルの種だったに違いない。

「そうだね(笑)。この頃から窓からテレビを投げ捨てるようになったと思う。楽しそうに聞こえるのは分かるけど、そんなことをするには、かなり金がかかる。経費報告書を見た後は、それほど楽しめなかった。やったことはやったんだけど、それだけ。今なら絶対にやらないことだけど、でも、俺たちは若かったし、楽しんでいたし、誰も“ダメだ”なんて言わなかったんだ」

Q:あなたが『Live! Bootleg』で迷い、最終的に手を加えていない生々しいアルバムにすることに決めたと読んだことがあります

「俺の好きなアルバムの一つに、ザ・キンクスの『 Live at Kelvin Hall』があるんだけど、これは入手するのが難しいレコードなんだ。おそらく俺の最初のライヴ・アルバムだったと思う。それを聴いて“本当にいい作品”というものを学んだ。

バンドと同じくらい観客がうるさくて、聴いていて興奮したよ。ライヴで生っぽいサウンドだったから、オーバーダビングして“修正”しているのを知ったときは“なんだよ、それ? そんなことやりたくない”って思ったんだ。

もし他の誰かがそれを望むなら、それはその人の自由だけど、俺はそれに反対だった。もし“ライヴ”と題して出すなら、それはライヴでなければならない。カヴァーに至るまで、そのことについてバンド内で話し合い、コーヒーの染みやブートレグのような見た目を再現したかったんだ」

Q:ペリーは1979年の『Night in the Ruts』の途中でエアロスミスを脱退しました。

「俺は彼らに腹を立てていたわけではない。ただ、うまくいっていなかっただけ。俺たちはあまりにも多くのことを、あまりにも早く経験してしまった。俺たちは70年代初頭からひたすら走り続けていたが、俺たちを結びつけていた接着剤が、だんだん固まらなくなっていった。俺たちはある意味でビジョンを失い、次に何をするべきかわからなくなった。あの頃、27歳まで生き延びていることは、時間を借りているようなものだった。だから、肩を寄せ合ってやっていくのは大変だった。自分たちがやりたいと思ったことはすべてやり尽くしたように思えたし、次に何が来るのか見当もつかなかったんだ。

心の中では“もう二度と彼らとは一緒に演奏しない”なんて思ったことは一度もない。ただ、その時は、お互いちょっと休憩が必要だっただけなんだ。本当にたくさんのことがあった。一緒に過ごした時間はたくさんあったし、良いことも悪いこともあった。そういうことだったんだ」

Q:浮き沈みの激しい70年代を振り返ってみて、何を思い浮かべますか?

「成り行き任せだった。前に言ったように、もし冷静な判断力があれば、ただ“1年休もう”と言っていたと思う。確かに休めるだけの金はあったが、くだらないことが多すぎた。お互いに話し合うことができなかったから、ああいうことになったんだ」