自発的に企画されたこの公演は、ジャレット、ピーコック、モチアンがトリオとして演奏した唯一の機会となった。ピーコックは当時、ジャック・ディジョネットが完成させたスタンダード・トリオの熱心なメンバーだった。モチアンはジャレットの「アメリカン・カルテット」(『The Survivor’s Suite(邦題:残氓)』『Eyes Of The Heart(邦題:心の瞳)』)のドラマーだったが、そのグループが解散して以来、キースとは仕事をしていなかった。 「私はディア・ヘッドで30年間ピアノを弾いていなかっただけでなく、ポール・モチアンとも16年間一緒に演奏していなかった。だから同窓会のようでもあり、同時にジャム・セッションのようでもあった」と、ジャレットは1994年にこのギグから最初に選曲された音源をリリースした『At The Deer Head Inn(邦題:アット・ザ・ディア・ヘッド・イン)』のライナーノーツに書いている。
ディア・ヘッド・プロジェクトは旧交を温めるものだった。このレコーディングは、1970年に『Gary Burton & Keith Jarrett』(Atlantic)でドラムを叩き、その後、長年ディア・ヘッドの常連だったフィル・ウッズ・カルテットに参加したビル・グッドウィンによって始められた。グッドウィンはジャレットの個人的な参考のためにドキュメンタリー・レコーディングを提案したが、ジャレットはそれを聴いて「これはリリースされなければならない」と認識した。このテープを聴けば、ジャズとは何なのかがわかると思う」とも記している。
1994年に『At The Deer Head Inn』がリリースされると、プレスはこれに賛同した。「この音楽には、キース・ジャレットの最高傑作のような奔放さと叙情性がある」とStereophile誌は書いている。一方、Gramphone誌は「呪術的」な演奏と評し、ロサンゼルス・タイムズ紙は「優美の大系 」と称賛した。