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ジャニス・ジョプリンに楽曲提供/エレクトリック・フラッグ創設メンバー ニック・グラヴェナイティス死去

2024/09/21 21:35掲載
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Nick Gravenites - Ed Perlstein/Redferns/Getty Images
Nick Gravenites - Ed Perlstein/Redferns/Getty Images
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)に楽曲を提供し、またマイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield)らと共にエレクトリック・フラッグ(Electric Flag)を結成したことでも知られる、ブルース/ロック・ミュージシャンのニック・グラヴェナイティス(Nick Gravenites)が死去。家族がSNSで発表。数ヶ月前から体調不良が続き、4月には医療費を賄うためのGoFundMeページが開設されましたが、9月18日に亡くなりました。86歳でした。

ニック・グラヴェナイティスは1960年代にシカゴからサンフランシスコに移り住み、同市の急成長するロックシーンで重要な役割を果たした、シンガー/ソングライター/ギタリスト。

1967年に結成されたエレクトリック・フラッグは、サンフランシスコの当時のブルース・ロック・バンド、特にクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスやビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに大きな影響を与えた。

ビッグ・ブラザーのメンバーとの友情は、バンドのリードシンガー、ジャニス・ジョプリンのキャリアに大きな影響を与えた。グラヴェナイティスの支援と後押しを受け、ジョプリンは1968年にバンドから離れ、ソロアーティストとして独立した。

グラヴェナイティスとブルームフィールドは、1969年に発表されたジョプリンの最初のソロアルバム『 I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!(邦題:コズミック・ブルースを歌う)』の制作を手助けし、グラヴェナイティスはアルバム用に「Work Me, Lord」を作曲した。この曲はジョプリンのライヴの定番となり、ウッドストックでのパフォーマンスのハイライトとなった。

グラヴェナイティスはジョプリンのために「Buried Alive In The Blues(邦題:生きながらブルースに葬られ)」を書くが、ヴォーカルの録音が予定されていた1970年10月4日の早朝、ジョプリンは薬物の過剰摂取により亡くなる。1971年1月に遺作として発表されたアルバム『Pearl』にはインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されている。

グラヴェナイティスは、ジョプリンの死後まもなく、グラヴィネイツはフォークロックデュオのブリューワー&シップリーのために「One Toke Over The Line」という曲を制作した。この曲は1971年にビルボードホット100で10位を記録した。

その他のグラヴェナイティスの楽曲は、ピュア・プレイリー・リーグ、トレイシー・ネルソン、ロイ・ブキャナン、ジミー・ウィザースプーン、そしてハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュ、ジェイムズ・コットンなど、彼が長年崇拝していたブルースの偉人たちもレコーディングした。