グラヴェナイティスとブルームフィールドは、1969年に発表されたジョプリンの最初のソロアルバム『 I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!(邦題:コズミック・ブルースを歌う)』の制作を手助けし、グラヴェナイティスはアルバム用に「Work Me, Lord」を作曲した。この曲はジョプリンのライヴの定番となり、ウッドストックでのパフォーマンスのハイライトとなった。
グラヴェナイティスはジョプリンのために「Buried Alive In The Blues(邦題:生きながらブルースに葬られ)」を書くが、ヴォーカルの録音が予定されていた1970年10月4日の早朝、ジョプリンは薬物の過剰摂取により亡くなる。1971年1月に遺作として発表されたアルバム『Pearl』にはインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されている。
グラヴェナイティスは、ジョプリンの死後まもなく、グラヴィネイツはフォークロックデュオのブリューワー&シップリーのために「One Toke Over The Line」という曲を制作した。この曲は1971年にビルボードホット100で10位を記録した。